フォー・ホワット・イッツ・ワース
「フォー・ホワット・イッツ・ワース」(原題: For What It's Worth (Stop, Hey What's That Sound))は、スティーヴン・スティルスが作詞作曲し、バッファロー・スプリングフィールドが1966年に発表した楽曲。アルバム『バッファロー・スプリングフィールド』のセカンド・プレスをはじめとするその他の編集盤での邦題は「フォー・ホワット」とされている。 概要60年代のカウンターカルチャーの高まりの中で発表され、反戦歌として多くの人々に広まった本作品であるが、実際はウェスト・ハリウッド、サンセット大通りのサンセット・ストリップの区域で起こった暴動(Sunset Strip curfew riots)に触発されてスティーヴン・スティルスが書いたものである。バッファロー・スプリングフィールドはレコード・デビュー前の1966年5月 から6月にかけて、サンセット・ストリップにあるナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴーゴー」のハウス・バンドであった。 当時サンセット・ストリップにはロック・ミュージックを中心とするクラブがいくつもあった。若者たちが夜遅くまでひしめき合っていたことから、これを快く思わない地元の住民と企業が市当局に働きかけ、当局は夜10時を門限とする夜間外出禁止の措置をとった。1966年11月12日の夜、クラブのひとつ「パンドラズ・ボックス」の周辺で1000人規模のデモ集会が開かれ、警官隊と衝突。デモに参加した若者の中にはジャック・ニコルソンとピーター・フォンダも含まれており、彼らもこのとき警官に捕縛された。結果、「パンドラズ・ボックス」は閉鎖に追い込まれた[3]。 スティルスは抗議の意味を込めて本作品を書き、同年12月5日にロサンゼルスのコロムビア・スタジオでレコーディングを行った。12月23日、シングルA面として発表[注釈 1]。B面はニール・ヤングが作詞作曲しリッチー・フューレイがリード・ボーカルをとった「Do I Have to Come Right Out and Say It」[1]。 1967年3月25日ビルボード・Hot 100で2週連続7位を記録し[4][5]、ゴールドディスクに輝いた[6]。それを受けて、1966年12月 にリリースされたファースト・アルバム『バッファロー・スプリングフィールド』の初回プレスの後、「ベイビー・ドント・スコールド・ミー」を「フォー・ホワット・イッツ・ワース」に差し替え、曲順をマイナー・チェンジしたセカンド・プレスが1967年4月 にリリースされた。 から4月1日にかけて「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」の2004年版、2010年版で、ともに63位にランクされている[7][8]。 カバー・バージョン
脚注注釈
出典
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