フェーングロッテン
フェーングロッテン(欧字名:Feengrotten、2019年5月15日 - )は、日本の競走馬[1]。2022年のラジオNIKKEI賞の勝ち馬である。 馬名の由来は、ドイツにある妖精の洞窟と呼ばれる鍾乳洞。 戦績デビュー前2019年2月20日、北海道安平町のノーザンファームで誕生。一口馬主法人サンデーサラブレッドクラブから総額2,800万円(一口70万円×40口)で募集された。その後、栗東の宮本博厩舎に入厩した。 2歳(2021年)9月5日の2歳新馬(小倉芝1800m)を鮫島克駿でデビュー。初戦はのちの朝日杯フューチュリティステークス、東京優駿勝ち馬のドウデュース、セントライト記念勝ち馬のガイアフォースに3馬身差の3着に敗れる。2戦目の2歳未勝利でサトノヘリオスに半馬身差の2着に敗れると、続く2歳未勝利(阪神芝2000m)で松山弘平に乗り替わり、後続に2馬身半差をつけて初勝利を飾る。次走、エリカ賞は中団から伸びずブービーの10着に敗れた。 3歳(2022年)3歳初戦、3歳1勝クラスは勝ち馬から6.8秒差と大差をつけられた最下位となる。続く、大寒桜賞は勝ち馬には離されたものの3着と好走する。7頭立て5番人気で出走した白百合ステークスは松若風馬が騎乗、初ブリンカーで向正面で後続を10馬身以上離す大逃げから、そのままゴールまで押し切り、1馬身1/4差をつけて逃げ切り勝ち。2勝目を手にした[2]。重賞初挑戦となったラジオNIKKEI賞は3番手から直線内ラチ沿いから抜け出し、逃げ粘るショウナンマグマを3/4馬身交わして1着、重賞初制覇となった[3]。次走、古馬との初対決となった新潟記念は3番手追走からいったん先頭に立つも、カラテ、ユーキャンスマイルに交わされ3着となった。
4歳(2023年)4歳初戦は、中山金杯での始動となった。陣営も「距離は2000メートルくらいが合う」とコメントしていた。[4]レースは果敢にハナを奪ってしぶとく粘ったものの、ゴール前で捕まり3着に惜敗した。鞍上の松若騎手は「周りの動きをうかがいながら逃げる形でしたが、こういう競馬をしたかった。道中もリズム良く走れたし、ラストは少し苦しくなったが、馬の気持ちは最後まで切れていなかったです」とコメントしている。[5] 2戦目は金鯱賞に出走した。レースは果敢に逃げるも2着であった。松若騎手は「メンバー構成などを見て(ハナに)行けたらいいなと思っていました。うまく先手を取れ、いいリズムといいバランスで運べましたし、厩舎がうまく仕上げてくれたことで頭が上がる面も改善していました。ペースも思った通りだっただけに悔しいです。馬は成長しています」とコメントした。[6] 次走は鳴尾記念に出走するも2着。松若騎手は「落ち着きがあって、いい返し馬ができましたが、スタートからあまり出て行かず、前半の進みがいつもと違いました。最後はのまれそうになってから、もうひと踏ん張り。どうも馬が遊んでいるようなところが見受けられます。今日は勝ちたかったのですが…」と今後の課題をあらわにした。[7] そうした中で迎えた七夕賞は14着と惨敗。松若騎手は「前走くらいから行きっぷりが悪くなっていたので、そこがどうかなと思っていた。具合とかは問題ないのですが、テンから進んでいかず、気が乗らなかった。」とコメントした。[8]また、宮本調教師は「前回は馬に気がなかったね。たまにそういう面を見せるんですよ。中間からそんな感じがあったんです」とその後振り返っている。[9] 秋は毎日王冠から始動した。七夕賞で課題となった気難しさは出さずに順調に来ており、宮本師も「いい体になった」と語っているほどであった。[9]しかし、レースの結果は12着だった。松若騎手は「ゲートに入るまでの雰囲気は良かったのですが......。気持ちの面で難しさがあります」[10]と七夕賞からの気性面での課題が続いていることをあらわにした。 次走は、チャレンジカップ に挑んだ。前走から惨敗が続いていることもあり、鞍上は短期免許で来日しているバウルジャン・ムルザバエフ騎手に乗り替わりとなった。レース前のインタビューで宮本師は「今年に関しては暑い時季でダメでしたね。状態は悪くないですよ。」[11]とコメントしていた。しかし、レースの結果は11着と惨敗。ムルザバエフ騎手は「メンタルの問題か、ゲートを出なかったので、後ろで脚をためていきましたが、馬を交わそうとしない面を見せていました。距離を延ばして楽に行けるようにすれば変わるかもしれません。気持ちの問題なのか、反応がありませんでした」とコメントしていた。[12] その後、去勢手術を行った。[13] 競走成績以下の内容は、netkeiba.com[14]およびJBISサーチ[15]に基づく。
血統表
脚注注釈出典
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