フェルナンド・ロメロ (野球)
フェルナンド・エルネスト・ロメロ・ペラルタ(Fernando Ernesto Romero Peralta, 1994年12月24日 - )は、ドミニカ共和国サン・フアン州サン・フアン・デ・ラ・マグアナ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのロサンゼルス・エンゼルス傘下所属。 経歴プロ入りとツインズ時代2011年11月にアマチュア・フリーエージェントでミネソタ・ツインズと契約してプロ入り。 2012年、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ツインズでプロデビュー。14試合(先発6試合)に登板して1勝4敗、防御率4.65、28奪三振を記録した。 2013年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズでプレーし、12試合(先発6試合)に登板して2勝0敗、防御率1.60、47奪三振を記録した。 2014年はA級シーダーラピッズ・カーネルズでプレーしたが、3試合に先発登板後にトミー・ジョン手術を受け、以降を棒に振った。 2015年は前年の手術の影響で全休した。 2016年はA級シーダーラピッズとA+級フォートマイヤーズ・ミラクルでプレーし、2球団合計で16試合に先発登板して9勝3敗、防御率1.89、90奪三振を記録した。オフの11月18日にはルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[1]。 2017年はAA級チャタヌーガ・ルックアウツでプレーし、24試合(先発23試合)に登板して11勝9敗、防御率3.53、120奪三振を記録した。 2018年は開幕をAAA級ロチェスター・レッドウイングスで迎え、5月2日にメジャー初昇格を果たした。同日のトロント・ブルージェイズ戦にて先発でメジャーデビューすると、5.2回を無失点の投球で初登板初勝利を飾った[2]。この年メジャーでは11試合に先発登板して3勝3敗、防御率4.69、45奪三振を記録した。 2019年はリリーフで15試合に登板した。 2020年2月12日、スプリングトレーニングに向かう途中にアトランタの税関で荷物の問題が発生し、ドミニカ共和国へ引き返したため参加できず。さらにビザの再取得も実現せずシーズンで投げることはなかった[3]。オフの12月17日に自由契約となった[4]。 DeNA時代2020年12月24日に横浜DeNAベイスターズが獲得を発表した[5]。推定年俸は7500万円[5]。 2021年の前半戦は防御率5.75と苦しんだが、後半戦は防御率2.09と安定した投球を見せ、最終的には14試合に登板して5勝3敗、防御率3.01の成績を残した[6]。オフの12月7日に推定年俸1億2000万円の1年契約と球団が2年目に契約延長できるオプション付きで、残留が発表された[7]。 2022年は開幕ローテーションに入るも、年間を通じて安定した投球を見せることが出来ず、終盤は中継ぎに配置転換される。10月2日の読売ジャイアンツ戦では1イニングで4四死球を出すなど状態が上向かず、クライマックスシリーズでの登板はなかった[8]。チーム4位の92 1/3回を投げるも、6勝8敗、防御率4.87の成績でシーズンを終えた。オフの11月30日に翌年の契約を結ばないことが発表され[9]、12月2日に自由契約公示された[10]。 DeNA退団後2022年12月22日、ロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ[11]。 投球スタイル
最速159km/hを誇る2種類の速球(フォーシーム、ツーシーム)が投球の6割以上を占める。変化球は、スライダーとチェンジアップ。日本に来てからはカットボールを習得し、ゴロアウトを量産するタイプに変貌した。 人物日本語の習得に前向きで、監督の三浦大輔に「頑張ります」と伝えようとしたが、「ガンバッテ!」と声をかけてしまい、指揮官に「おまえが頑張れ」と切り替えされてしまった[12]。また、同僚の山崎康晃や上茶谷大河からIKKO、GO!皆川[13]、ちゅうえい(流れ星☆)[14]、長谷川雅紀(錦鯉)[15]などのギャグを仕込まれ、ヒーローインタビューを中心に披露している。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
登場曲
脚注
関連項目
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia