フィアット・126
フィアット・126は、フィアットがかつて製造していた小型乗用車である。イタリア語で男の子を意味する「バンビーノ」の愛称で親しまれた。 概要NUOVA 500の後継として1972年に発表された。車体寸法はNUOVA 500よりも大きくなったが、ホイールベースは変わらず、エンジン、ドライブトレイン、フロントサスペンションなど、基本的なメカニズムも全てNUOVA 500のキャリーオーバーである。なお、126用の126.000エンジンをNUOVA 500に搭載した「500R」も1977年まで並行生産されていた。 スタイリングは、カロッツェリア・ギアからフィアット・デザインセンター(Centro Stile Fiat)に移籍していたセルジオ・サルトレッリが担当。127同様、角形ヘッドランプを持ったプレーンで直線的なスタイルへと大きく変化した。 細部では、荷物置き場を拡大する前倒式となった後席背もたれ、トランク(前部)内から後席下への燃料タンク位置の変更、ダイアゴナルスイングアクスルからセミトレーリングアームとなったリアサスペンションなど、使い勝手と安全性の向上が図られている。ステアリングギアも旧弊なウォームアンドセクタ式が流用されていたが、1978年(イタリア語版による)から操作性に優れたラック・アンド・ピニオン式へ改良された。 パンダの登場に伴い、イタリア本国では1980年に生産終了となったが、ポーランドでは2000年7月まで生産が継続された。 日本での登録区分は輸入開始以来普通車(小型自動車)であったが、1990年(平成)1月の規格改定以降、新規の場合に限り594ccと652ccモデルは軽自動車登録が可能となった。 1973年モデルのディティール
バリエーションイタリア製
ポーランド製FSMによるライセンス生産。当初は2ドアセダンのみであったが、ハッチバック(3ドア)のbis(1987年 - 1991年)とカブリオレ(1991年 - 1995年)が追加されている。FSMは1992年にフィアットに買収され、1993年以降はフィアット・オート・ポーランドが生産を引き継ぐ。
POP西ドイツ(当時)の小コーチビルダーDAP社で、ポーランド製126pの屋根を取り払ってカブリオレに改造したもの。ロールバーが無い、幌、ドア(FRP製)、Cピラー跡の形状が異なるなど、メーカ製カブリオレとは外観や仕上がり品質に差がある。 日本では1989年に大阪の並行輸入業者によって10台が輸入され、DAP 650の名で販売された。翌年1月の軽自動車規格の改定に合わせて652 cc エンジンを選択しており、軽自動車登録が可能。 ギャラリー
関連項目
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