フアン・センテノ
フアン・センテノ(Juan Centeno, 1989年11月16日 - )は、プエルトリコのアレシボ出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。現在は、ボストン・レッドソックス傘下所属。 経歴プロ入りとメッツ時代2007年のMLBドラフト32巡目(全体991位)でニューヨーク・メッツから指名され、6月11日に契約。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・メッツでプロデビューし、12試合に出場した。 2008年はルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレーし、24試合に出場して打率.206を記録した。 2009年はA-級ブルックリン・サイクロンズでプレーし、32試合に出場して打率.164、9打点、1盗塁を記録した。 2010年はA-級ブルックリン、A+級セントルーシー・メッツ、AA級ビンガムトン・メッツでプレー。A-級ブルックリンでは32試合に出場して打率.371、1本塁打、10打点、1盗塁を記録した。 2011年はA+級セントルーシーでプレーし、52試合に出場して打率.318、1本塁打、11打点、3盗塁を記録した。 2012年はAA級ビンガムトンでプレーし、79試合に出場して打率.285、35打点、1盗塁を記録した。 2013年はAA級ビンガムトンで開幕を迎え、6試合に出場後、AAA級ラスベガス・フィフティワンズへ昇格。67試合に出場して打率.305、28打点、1盗塁と結果を残し、9月8日にメッツとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[1]。9月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー。「8番・捕手」として先発起用され、4打数2安打1打点だった[2]。この年メジャーでは4試合に出場して打率.300を記録した。 2014年3月3日にメッツと1年契約に合意。3月18日にAAA級ラスベガスへ配属され、そのまま開幕を迎えた。5月15日にトラビス・ダーノーが7日間の故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[3]。5試合に出場し、全て先発マスクをかぶったが、5月28日にダーノーが復帰したため、AAA級ラスベガスへ降格した[4]。登録枠が拡大された9月1日に再昇格。この年メジャーでは10試合に出場して打率.200、2打点を記録した。 ブルワーズ時代2014年10月31日にウェイバー公示を経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[5]。 2015年は10試合に出場して打率.048で、本塁打と打点はともにゼロだった。オフの11月6日にFAとなった。 ツインズ時代2015年11月30日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。 2016年は開幕を傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスで迎えたが、5月6日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。この年はバックアップ捕手の1人として出番を大幅に増やし、55試合に出場。打撃面では打率.261、3本塁打、25打点という成績を記録した。守備面では53試合でマスクを被ったが、6失策・守備率.983・DRS - 5・盗塁阻止率14%と、粗さが目立った。11月18日にマイナー契約でAAA級ロチェスターへ配属された後、23日にFAとなった[6]。 アストロズ時代2016年12月15日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[6]。 2017年の開幕はAAA級フレズノ・グリズリーズで迎えたが、5月21日にブライアン・マッキャンの7日間故障者リストの登録に伴い、メジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[7]。この年メジャーでは22試合に出場して打率.231、2本塁打、4打点を記録した。 レンジャーズ時代2017年11月27日にウェイバー公示を経てテキサス・レンジャーズへ移籍した[8]。 2018年5月3日にDFAとなり[9]、7日にマイナー契約で傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ配属された[6]。この年メジャーでは10試合に出場して打率.162、1本塁打、3打点を記録した。レギュラーシーズン終了後の10月2日にFAとなった[10]。 レッドソックス時代2018年11月13日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、2019年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[11]。 2019年は開幕から傘下のAAA級ポータケット・レッドソックスでプレーし、81試合に出場して打率.248、4本塁打、40打点、2盗塁を記録した。9月1日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[12]。この年メジャーでは7試合に出場して打率.133、2打点、1盗塁を記録した。11月4日にマイナー契約でAAA級ポータケットへ配属された後、同日中にFAとなった[6]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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