ファゼカシュ・ラースロー
ファゼカシュ・ラースロー(Fazekas László、1947年10月15日 -)は、ハンガリーの元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 経歴ファゼカシュはウーイペシュトFCで選手生活の大半を過ごし、リーグ通算408試合出場252得点を記録した[1]。また、ハンガリーリーグでは1975-76シーズンに19得点、1977-78シーズンに24得点、1979-80シーズンに36得点をあげて得点王となり[2]、1979-80シーズンにはヨーロッパ・シルヴァーシューを受賞した[1]。 晩年は国外へ活躍の場を求め、1980年にベルギーのロイヤル・アントワープFCへ移籍すると4シーズンの間にリーグ戦105試合に出場し34得点を記録[1]。1984年からシント=トロイデンVVでプレーを続け、1985年に現役を引退した[3]。 ハンガリー代表としては、1968年5月24日に行われたUEFA欧州選手権1968予選のソビエト連邦代表戦で代表デビューを飾った[4]。同年10月に行われたメキシコシティオリンピックの代表メンバーに選出されると全6試合に出場し、グループリーグのエルサルバドル代表戦で1得点を挙げる活躍で同国の金メダル獲得に貢献した[5][6]。 ワールドカップでは1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会と1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会の2大会に出場したが、いずれも1次リーグ敗退という結果に終わった[6]。スペイン大会では1次リーグ初戦のエルサルバドル代表戦で2得点を決め10-1の勝利に貢献[4]。最終戦のベルギー代表戦では2次リーグ進出の可能性が残されていたものの、相手キーパーのジャン=マリー・プファフから受けた反則を審判が見逃したことなどもあって[6]、1-1の引き分けに終わり2次リーグ進出を逃した[4]。その後、1983年3月27日に行われたUEFA欧州選手権1984予選のルクセンブルク代表戦を最後に代表から退くまで国際Aマッチ92試合に出場し24得点を記録した[4]。 引退後は指導者の道へ進み、SCエーンドラフト・アールストや古巣のロイヤル・アントワープFCなどのベルギーのクラブで監督を務めた[3]。また、1994年から1995年にかけてハンガリー代表監督のメーセイ・カールマーンの下でコーチを務めた[3]。 個人成績代表での成績
タイトルクラブ
代表
個人
脚注
外部リンク
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