ピーボディ大学
ピーボディ大学(Peabody College of Education and Human Development)は、アメリカ合衆国テネシー州のナッシュビルにある私立大学。ヴァンダービルト大学グループに属する。 1875年にナッシュビル大学が2つの教育機関に分かれる際に創立した。 プレパラトリー・スクールであるUniversity School of Nashville がナッシュビル大学から分割され、「ピーボディ普通学校」と名付けられたが、その後すぐに「ジョージ・ピーボディ教育大学」として知られるようになった[5]。 ピーボディは、2009年、2010年、2011年、2012年、2013年、『USニューズ&ワールド・レポート』誌の大学院ランキング教育学部門で第1位だった。 歴史1785年、ピーボディは当時ノースカロライナ州の一部であったテネシー州の認可を受けた「デイヴィッドソン・アカデミー」としてその歴史が始まった。1806年から1826年まで「カンバーランド大学」という名であり、1827年、「ナッシュビル大学」と改名された。1875年、ジョージ・ピーボディが創立したピーボディ教育基金から経済支援を受け、州議会は州立普通学校としての認可に変更し、1889年、ピーボディ普通大学となった[6]。 1911年以降、ピーボディ大学はヴァンダービルト大学の向かい側に移転した。後にヴァンダービルト大学に合併され、現在ヴァンダービルト大学ピーボディ教育発達科学大学として知られている[5]。 この場所は1906年に焼失したアフリカ系アメリカ人のためのロジャー・ウィリアムズ大学跡地であった[7]。1960年代、付属校(現在のUniversity School of Nashville )がナッシュビルの最初の被差別高等学校の1つとなったにもかかわらず、ピーボディは白人大学であった。 ピーボディは特にアメリカ合衆国南部では教育学で名声をあげた[6]。ジョージ・ピーボディの名を冠した基金により経済的豊かさがその理由の1つとされる。ピーボディのメイン・キャンパス向かいに位置するが、ヴァンダービルトからよりピーボディに近い大学合同図書館などいくつかの施設を共有していた。またピーボディの学生はヴァンダービルトの予備役将校訓練課程(ROTC)やマーチング・バンドに参加することが可能であった。1970年代初頭、ピーボディの学生はヴァンダービルトの運動部に参加することが可能となった。それまでピーボディは体育学部があり、スポーツ奨学生が多数いたにもかかわらず独自の運動部がなく、フットボールなどヴァンダービルトの運動部に参加したくともできなかった[要出典]。 1965年、22棟の校舎のある50エーカー(20万m2)のキャンパスはアメリカ合衆国国定歴史建造物に登録された[2][4]。 1970年代までにピーボディは経済危機に陥り、ヴァンダービルトとの合併か完全閉鎖かの選択を迫られ、1979年、ヴァンダービルトと合併することとなった[6]。 ヴァンダービルトの一部としての発展合併以降長年ピーボディはヴァンダービルトとは別物とされていたが、現在はそうでもない。2008年、ピーボディにはヴァンダービルトの1年生の寮である「ザ・コモンズ」が設置された [8]。 現在、組織としてもピーボディはヴァンダービルトの重要な一部となっている。大学および大学院の教育のみならず、ヴァンダービルト大学医療センターと共に学習や認識力の研究を行なっており [6]、National Center on School Choice およびNational Center on Performance Incentives の2箇所から財政援助を得ている。2009年、2010年、2011年、2012年、2013年、『USニューズ&ワールド・レポート』誌の大学院ランキング教育学部門でピーボディは第1位となった。 著名な出身者
脚注
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