ピエトロ1世・ディ・サヴォイア (Pietro I di Savoia, 1048年 - 1078年7月9日[1]) は、サヴォイア伯、アオスタ伯、モーリエンヌ伯(在位:1057年 - 1078年)。オッドーネ・ディ・サヴォイアとアデライデの長男。フランス語名ピエール1世・ド・サヴォワ(Pierre Ier de Savoie)。
生涯
父の死んだ1057年に爵位を継承したが、後に爵位を継ぐ弟アメデーオと共に母の言うがままに統治を行っており、実権は持ち得ていなかった。
数少ない功績としてラ・ヴェッツァの所有に関して、アスティ司教と意見の相違を平和的に解決したことが挙げられる。治世中にはトリノ司教クニベルトと協定を結んでサン・ミケーレ・デッラ・キウーザの修道院の僧と対立するなどいくつかの武力衝突も起こした[2]。1065年頃にアキテーヌ公ギヨーム7世の娘アニェーゼ・ディ・ポワティエ(またはアニェーゼ・ダクイターニア)と結婚した[3]が男子に恵まれず、弟アメデーオ2世が後を継いだ。
アニェーゼとの間には以下の子供が生まれた。
- アニェーゼ(Agnese) - 1080年、トリノ辺境伯フェデリーコ・ディ・モンベリアル(? - 1091年)と結婚[4]
- アリーチェ(Alice) - サヴォーナ侯ボニファーチョ・デル・ヴァストと結婚
脚注
- ^ Previté-Orton, Early History, p. 205(生年), p. 241(没年)
- ^ Previté-Orton, Early History, pp. 240f.; Hellmann, Grafen, pp. 19ff.
- ^ Previté-Orton, Early History, pp. 205, 231; Patrone, ‘Agnese’; Creber, Alison (22 April 2019). "Breaking Up Is Hard To Do: Dissolving Royal and Noble Marriages in Eleventh-Century Germany". German History. 37 (2): 149–171.
- ^ Previté-Orton, Early History, p. 244; Hellmann, Grafen, pp. 25f.
参考文献
- Charles William Previté-Orton, The Early History of the House of Savoy (1000-1233) (Cambridge, 1912), accessible online at: archive.org
- S. Hellmann, Die Grafen von Savoyen und das Reich: bis zum Ende der staufischen Periode (Innsbruck, 1900), accessible online (but without page numbers) at: Genealogie Mittelalter
- A.M. Patrone, ‘Agnes di Poitiers,’ in “Dizionario Biografico degli Italiani” – Volume 1 (1960)
関連項目