ピアノ協奏曲 (ディーリアス)ピアノ協奏曲 ハ短調 RT VII/4 は、フレデリック・ディーリアスが作曲したピアノ協奏曲。幾度にもわたる改訂を経ており、各版で大きく内容が異なる。全ての版を通じての公開初演は1904年10月24日、ドイツ、エルバーフェルトでユリウス・ブーツの独奏、ハンス・ハイムの指揮で行われた[1]。 概要1887年のライプツィヒで出会って以来、ディーリアスはグリーグと親しく交際しており、同年のクリスマスにはグリーグは自らの「ピアノ協奏曲」の写譜をディーリアスに贈っていた。また、1888年に訪英したグリーグが、ロンドンでの演奏会で同曲を弾いて成功を収めるのを目の当たりにしたディーリアスは、ピアノ協奏曲という楽曲形式に興味をそそられたものと思われる。その後すぐにディーリアスは様々に構想を練ったものの、しばらく経った1897年にようやくハ短調のピアノと管弦楽のための幻想曲を完成させた。この時、曲は3つの部分が一続きになった形式で、中間部分は変ニ長調だった。この初期版は1898年に作曲者とフェルッチョ・ブゾーニが2台ピアノ版で演奏しているものの、公にされることはなかった[1]。 理由は不明ながらディーリアスは幻想曲の改定に取り掛かり、3楽章のピアノ協奏曲となったものが1904年に初演された。この版では変ニ長調の部分が独立した楽章となった上で終楽章が新たに書き下ろされており、曲の評判は悪いものではなかった。しかし、これに満足できなかったディーリアスは再び改訂に取り掛かり、終楽章を破棄した上で変ニ長調のパートを第1楽章の中間において初版に近い構成に戻した。さらにピアノ独奏部の書法に関してブゾーニの弟子でピアニストのテオドール・サーントー(Theodor Szántó)に助言を求め、聴き栄えがするように書き改められた。この版は1907年10月のロンドンでサーントーの手で初演に至っており、彼に献呈されている[1][2]。 以上のような複雑な成立の経緯と他者の手による独奏部の存在などから、以後に作曲されたディーリアスの協奏曲に比べると、認知されないままとなっている曲であるといえる[1]。 楽器編成ピアノ独奏、フルート3、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、打楽器、弦五部[3] 演奏時間版によって異なる。 楽曲構成この節では、最終版について記述する。
ちなみに、1897年の初版ではアレグロ・ノン・トロッポ - ラルゴ - テンポ・プリモの3部分[4]、そして1904年版ではアレグロ・マ・ノン・トロッポ(第1楽章)、ラルゴ(第2楽章)、マエストーソ・コン・モート・モデラート(第3楽章)の3楽章[1]からなっていた。 脚注
CD
参考文献
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia