Binky Brown Meets the Holy Virgin Mary(→『ビンキー・ブラウン、聖処女マリアに会う[1]』。以下『ビンキー・ブラウン』)は米国人の漫画家ジャスティン・グリーン(英語版)によるコミック。初刊1972年。英語圏のコミックで最初の重要な自伝作品と位置付けられており、作者の分身であるビンキー・ブラウンの口を通して幼少期からの「病的な神経症(英語版)」が語られている。作中では厳格なカトリックの育ちがその由来だとされていたが、作者は後に強迫性障害と診断された。
ロードアイランド・スクール・オブ・デザインで絵画を学んでいた1967年、ロバート・クラムの作品と出会って歪んだ枠線の中にひしめく野卑な絵に惹きつけられ、自身でもコミックを描き始めた[11]。描き方を模索するうちに、自身で言うところの心の中にある妄想的なフォルムを流し出す自然で無意識的なスタイルに行き着いた[12]。1968年に「召集を受けた[11]」と称してシラキュース大学の美術学修士(英語版)課程を中退し[13]、カウンターカルチャー運動の中心地でアンダーグラウンド・コミックシーンが花開きつつあったサンフランシスコに移り住んだ[11]。同年、宗教的な強迫観念を持ったキャラクターが登場するコミックストリップ "Confessions of a Mad School Boy"(→狂った少年の告白)をロードアイランド州の雑誌に発表した。翌年にアンダーグラウンド・コミック誌 Yellow Dog(英語版)第17号に描いた "Binky Brown Makes up His Own Puberty Rites"(→ビンキー・ブラウン、自己流の通過儀礼を作り出す)ではそのキャラクターに名前が与えられた。続いて1971年に "The Agony of Binky Brown"(→ビンキー・ブラウンの苦悶)がラスト・ガスプ(英語版)社の Laugh in the Dark 第1号に掲載された[14]。
『ビンキー・ブラウン』は当初の発行分が完売してから20年にわたって絶版となった。熱心なファンはオリジナルのコミックブックのみならずコピー本を売買していた[18]。その間グリーンは看板描きで生計を立て、一方で様々な雑誌にコミックストリップを描いた[18]。Arcade(英語版)や Weirdo(英語版)のようなアンダーグラウンド誌に寄稿された短編コミックやエッセイではビンキー・ブラウンが作者の代理キャラとして使われ続けた[19]。1976年の作品 "Sweet Void of Youth" では、ビンキーが漫画と美術の間で引き裂かれながら高校生から31歳になるまでが描かれる[17]。また単発作品のほかに看板の業界誌や Pulse!(英語版)誌にコミックストリップの連載も持っていた[20]。これら後年の作品は『ビンキー・ブラウン』ほど注目されていない[21]。
グリーンは1990年に『ザ・サン(英語版)』誌に "The Binky Brown Matter"(→ビンキー・ブラウンには意味がある)という題のエッセイを書き[22]、本作の発表後に強迫性障害と診断されたことを明かした[10]。ラスト・ガスプから1995年に出た作品集 The Binky Brown Sampler(→ビンキー・ブラウン選集)にはビンキー・ブラウン関連のコミック作品に加えてこのエッセイの増補版が収録された[5][22]。
2009年に文芸出版社のマクスウィーニーズ(英語版)がデラックス版『ビンキー・ブラウン』5000部を発行した[1]。生原稿(1970年代にグリーンによって売却されていた)から新しくスキャンされたもので[5]、汚れや変色も含めて原画が原寸大で再現されていた。編集は同社のエリ・ホロヴィッツが行った[23]。この再版によって本作は広く認知されるようになった[1]。2011年には Stara 社からフランス語版 (Binky Brown rencontre la Vierge Marie)[24]、ラ・クープラ社からスペイン語版 (Binky Brown conoce a la virgen María) が出版された[25]。
読み口は軽くないものの、ユーモアが前面に出た作品である[26]。メタな視点からの遊びもあり、グリーンという描き手が物語の背景に存在することは随所で示される[9]。最初に大人のビンキーが前口上を述べる構成は、1950年代ECコミックスのホラー誌 Tales from the Crypt(英語版)がナレーターの語りから始まるのにならっている。作中に挿入されるナレーションを語るのも大人のビンキーで、グリーンはそれによって過去と現在をつなげている[12]。ただしナレーターが若い自分を三人称で呼ぶという断絶がある[28]。そのほかコミックからの引用としては『ディック・トレイシー』に登場する「Crimestopper's Textbook(→犯罪防止教本)」をもじった「Sinstopper's Guidebook(→涜神防止教本)」 や[29]、背景に描かれたロバート・クラム作品がある[9]。カトリックの教区学校で配布されていた教育的コミック Treasure Chest(英語版)への言及もある[9]。
アート・スピーゲルマンはグリーンの作画を癖があって不格好と言っている[18]。その絵は一見拙いが、Perspective(→遠近法)や Fun with a Pencil (→やさしい人物イラスト)のような美術手引書が描き込まれたコマや、語り手のビンキーが真剣に作画を行っているシーンには、作者の古典絵画への造詣と情熱が窺える[9]。用いられる表現技法は多様で、イラスト風の矢印吹き出し、学術文献を模した注釈、コマの大きさ・構図・レイアウトのバリエーション、人工的なスクリーントーンと手描きのハッチングの対置などが挙げられる[29]。消失点に置かれた聖母マリアに向けて「おちんちん光線」が収束していくシーンは象徴性と作画技法が融合している[9]。
グリーンは『ビンキー・ブラウン』が自作の中で初めて読者から大きなエネルギーを引き出したと語っている[33]。アンダーグラウンド・コミックやオルタナティヴ・コミックへの影響は大きく[2]、本作が作者自身を笑っている点や[29]告白体のアプローチに触発されて個人的な恥を晒す作品を描いた漫画家は多かった[29]。アリーン・コミンスキー(英語版)は1972年に本作の影響で自伝的な第1作 "Goldie: A Neurotic Woman"(→神経症女ゴールディー)を描き[34]、Wimmen's Comix(英語版)第1号で発表した[33]。他にも同時代のアンダーグラウンド漫画家の多くが作品に自己告白を取り入れている[35]。ロバート・クラムは同年に "The Confessions of R. Crumb"(→R・クラムの告白)を発表し、その後も類似の作品を描き続けた[16]。1971年に本作の未完成原稿を読んだアート・スピーゲルマンは[36]、後に「『ビンキー・ブラウン』がなければ代表作の『マウス』もなかった」と述べるほど影響を受けた[37][注 1]。コミック批評家ジャレド・ガードナーは、アンダーグラウンド・コミック運動はカウンターカルチャー的な因習打破と結び付けられることが多いが、その最大の遺産は自伝ジャンルだと主張している[39]。
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