ビビアン・チョウ
ビビアン・チョウ(ヴィヴィアン・チョウ、Vivian Chow、中国名:周 慧敏、1967年11月10日 - )は香港出身の歌手、シンガー・ソング・ライター、女優である。その気品のあるステージマナーのみならず、動物愛護のチャリティー活動によっても知られる。 略歴生い立ち香港に生まれ母親に育てられた。父親は彼女が生まれた年に心臓の病で亡くなっている。夢は歌手やアーティストになることだった。 ディスクジョッキーとして高校を卒業後、1985年の第4回ニュー・タレント・コンテストに出場し、柏原芳恵の「最愛」を日本語で歌い入賞を果たした[1]。ETHK局のDJコンテストにも合格し、ディスクジョッキーとして芸能界でのスタートを切った。この時期に三つのラジオドラマで主要な役を演じている。 女優として1988年に大ヒットしたコメディー『三人世界』で映画デビューを果たした。翌1989年にこの作品で彼女は最優秀新人賞を獲得し、香港の芸能界にその潜在能力を認知させることとなった。徐々にではあるが確実に、彼女は夢への階梯をかけ上がっていった。 歌手として同じ1989年にSANCITYと契約し、自身の名を冠した初のアルバム『周慧敏』をリリースした。このアルバムはわずかに四曲しか収録されておらず、聴衆の反応を探ることを主な目的とした作品だった。売り上げは悪くなく、翌1990年にはさらに二枚のアルバム『Vivian』、『情迷』を制作し、自身のファンを開拓していった。 1991年には香港最大手のポリグラムと契約し、さらに多くのアルバムを制作した。北京語の発音の特訓もこなし、『流言』や『好きなのに』などの北京語のアルバムも制作した。1994年6月には台湾で、10月には地元香港でソロ・コンサートを開催した。 引退しかし、パパラッチによる私生活の領域への侵入に耐え切れず、一時期あらゆるメディアとの接触を絶ってしまった。1994年のコンサートの後、彼女は自分にとって最も大切なのは名声や栄光ではなく個人的な生活であることに気づき、次第に香港のエンタテインメント界から遠ざかっていった。1990年代の後半には芸能活動を引退し、バンクーバーへ移住した。現在は時折家族のいる香港を訪れ、動物愛護のチャリティー活動を支援している。 音楽低音域の表現や声量に不安を感じさせると指摘されながらも、その中・高音域の甘く美しい歌声を披露してきた。恵まれた容姿と洗練された物腰ゆえに批評家の反応は概ね微温的なものだったが、それにも関わらず彼女は数多くの熱烈なファンを獲得した。メディアからは「玉女掌門人」(元祖美少女といったような意味)の称号で呼び慣わされた。 彼女は日本の音楽から大きな影響を受けており、アマチュア時代に参加したコンテストでも日本の歌を日本語で歌った。日本語がわかる人がいないために点数が辛くなったこともあったという。デビュー後も柏原芳恵の「最愛」をはじめ、小泉今日子や山下久美子などの楽曲のカバーを発表した。 香港でも人気のある『美少女戦士セーラームーン』広東語版の主題歌「美少女戦士」[2]をカレン・トンとリンダ・ウォンとの共演で歌った。コンサートでもこの曲をセーラームーンのぬいぐるみをバックに歌ったり、『ドラえもん』の主題歌を日本語で歌うなど、日本のアニメへの愛好ぶりを示していた。 ディスコグラフィ以下の音源のうちいくつかはオーマガトキ(新星堂の独自レーベル)及びポリドールから日本盤がリリースされている。 ※日本で発売したCD・VHS・LDのみ記述。 日本語のシングル
広東語のベスト・アルバム
北京語のベスト・アルバム
広東語のスタジオ・アルバム
北京語のスタジオ・アルバム
ビデオ・アルバム
出演作品テレビドラマ
映画
テレビ映画
音楽映画
書物
脚注参考文献
外部リンク
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