ヒース・ヒーリング
ヒース・ヒーリング(Heath Herring、1978年3月2日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。テキサス州ウェーコ出身。ラスベガス・コンバットクラブ所属。 レスリング、サンボで培ったグラウンドテクニックを有し、ほぼ毎試合変わる髪型や、テンガロンハットを被りながらの入場などで人気を博す。常に一本・KOを狙うアグレッシブなファイトスタイルから「テキサスの暴れ馬」の異名を持っていた。 来歴18歳から格闘技を始め、プロファイターになる前の職業はコンピュータプログラマだった[2]。 全米サンボ選手権で優勝。 1999年9月27日、World Vale Tudo Championship 9で優勝を果たした。 PRIDE2000年6月4日、PRIDE.9でPRIDE初参戦。PRIDE.11でトム・エリクソン、続くPRIDE.12ではエンセン井上に勝利し、さらにPRIDE.15では、当時「霊長類ヒト科最強の男」と呼ばれたマーク・ケアーにTKO勝ちを収めた。 2001年11月3日、PRIDE.17の初代PRIDEヘビー級王座決定戦でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2002年11月24日、PRIDE.23のPRIDEヘビー級王座次期挑戦者決定戦でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、パウンドでドクターストップに追い込まれTKO負けを喫し挑戦権獲得に失敗した。 2003年6月8日、PRIDE.26でミルコ・クロコップと対戦し、左ミドルキックからのパウンドでTKO負けを喫した。 2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のヘビー級グランプリ1回戦で高橋義生と対戦し、パウンドで失神KO勝ち。6月20日、PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDのヘビー級グランプリ2回戦でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと再戦し、2R開始直後にノゲイラの新技スピニングチョークで一本負け。リベンジは果たせなかった。 2004年10月21日、PRIDE.28で横井宏考と対戦し、1RでTKO勝ち。この一戦でPRIDEとの契約が切れた。 HERO'S2005年3月26日、HERO'Sでサム・グレコと対戦。試合をリードしていたが、左ローキックを放った際に軸足を負傷しTKO負けとなった。 2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で中尾芳広と対戦。しかし、中尾は試合前の睨み合いでヒーリングを挑発しようと唇にキスをしてしまう。これに激怒したヒーリングは試合開始前であるにもかかわらず中尾に右フックを見舞い、中尾が失神してしまったためヒーリングの反則負けとなった。この後にヒーリング側が抗議し、裁定の結果、「非常識な挑発をした中尾にも責任はある」として当試合は無効試合となった[3]。この時の行動が元になり中尾はリングネームを「中尾"KISS"芳広」と変更した。 2006年3月15日、HERO'S 2006でゲーリー・グッドリッジと対戦し、ジャブ連打からの右ストレートでKO勝ち。この試合を最後にHERO'Sのリングを去ることになり、アメリカの格闘技団体WFAに移籍。その後UFCを運営するズッファがWFAを買収したため、自動的にUFCへ参戦することとなった。 UFC2007年1月25日、UFC Fight Night: Evans vs. Salmonにおいてジェイク・オブライエンと対戦。0-3の判定負けによりUFCでは黒星デビューとなった。4月7日のUFC 69ではブラッド・アイムスを3-0の判定で下し、UFC初勝利を挙げた。 2007年7月7日、UFC 73でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと3度目の対戦。1R終盤ではハイキックでノゲイラからダウンを奪うが、それ以外では試合を支配され、0-3の判定負けを喫した。 2008年3月1日、UFC 82でシーク・コンゴと対戦し、2-1の判定勝ち。8月9日のUFC 87ではブロック・レスナーに0-3の判定負けを喫した。 2009年6月13日、UFC 99でケイン・ヴェラスケスと対戦予定であったが、気管支炎により欠場となった[4]。 その後、活動が途絶えたため、2011年9月にUFC代表ダナ・ホワイトにツイッターでヒーリングの状況について質問が出たところ、ダナはヒーリングが「引退した」と発言した[5]。 引退後2015年年末、『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS』にて、かつてのPRIDEレジェンドファイターとしてマーク・コールマンとともに来日[6]。 現役復帰2016年12月29日、8年4か月ぶりに復帰し『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUND』にて欠場となったシェイン・カーウィンに代わり、アミル・アリアックバリと対戦した。 戦績
獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia