ヒルマン・アヴェンジャー
ヒルマン・アヴェンジャー(Hillman Avenger )はクライスラー欧州部門が開発し、英国子会社のルーツ・グループのヒルマンブランドで販売していた後輪駆動の小型乗用車である。 1976年以降はクライスラー・アヴェンジャー、クライスラー欧州部門がPSA・プジョーシトロエンに売却された1978年以降はタルボット・アヴェンジャーと名称を変え、1981年まで生産・販売された。 概要1970年2月発表。1967年にクライスラーがルーツ・グループを買収して以降、初となる新型車として注目された。スタイリングは当時のアメリカ車の流行を取り入れたコークボトルラインのセミ・ファストバックであったが、機構は保守的で、新設計ながら1,250ccまたは1,500ccの直列4気筒OHVエンジンに4速MTのみの組み合わせ、サスペンションは後輪リジッドアクスルを採用していた。なお、プラスチック製フロントグリルを初めて採用した英国車でもある。 生産は、当初はイングランドのライトンにあるルーツ・グループの工場が担当、後にスコットランド・グラスゴー近郊のリンウッド工場に移管された。 従来のルーツ・グループ各車種のように、シンガー・サンビーム・ハンバーなどのバッジエンジニアリングモデルは作られず、ヒルマンブランドのみで販売された。 発売当初のジャーナリズムの評価は良好で、優れた操縦性と走行性能を持っていると評価され、翌1971年に登場したライバルのモーリス・マリーナなどよりも優れていると評された。 歴史ヒルマン・アヴェンジャー(1970 - 1976年)当初は4ドアセダンのみが用意され、下位からDL、Super、GLのグレードが用意された。DLとSuperは1,250ccと1,500ccエンジンが選択可能だったが、GLには1,500ccのみが用意された。DLは床はゴムマット、スピードメーターも寒暖計式のシンプルなものであったが、Superではフロアカーペット、ドアのアームレスト、二連式ホーンや後退灯が装備される。GLは標準の角型2灯に対し丸型4灯式のヘッドライト、2速式ワイパー、室内からのボンネットレリース、ナイロン製生地(イギリス車では初採用)のリクライニングシート、丸型メーターが装備される上級グレードである。 アヴェンジャーはフォード・エスコートやボクスホール・ヴィヴァと共に堅調な売れ行きを示し、クライスラーはアヴェンジャーを世界戦略車に仕立てることを企図した。そこで1971年よりプリムス・クリケットとして対米輸出を開始したが、錆の発生や故障の多さ、更に第一次オイルショック前で小型車の需要がまだ高まっていない時期であったため、2年足らずで撤退に追い込まれた。なお、同じ1971年からはダッジ・コルト(三菱・ギャラン)も輸出されたが、こちらは成功を収めている。 マイナーチェンジ1970年10月にはGTが追加された。エンジンはツインキャブ化され、ボディにはストライプが施された。また1,500ccの全グレードで、それまでの4速MTに加えて3速ATも選択可能となった。 1972年2月には社用車向けのスタンダード版が追加された。DLの装備をさらに簡略化したもので、サンバイザーは省略され、ヒーターブロワーはON/OFFのみで風量調節不可というものであった。 同年3月にはDL/Superに5ドアワゴンを追加。また、かつての高性能スポーツカーであるサンビーム・タイガーの名前を受け継ぐハイパフォーマンスモデル「アヴェンジャー・タイガー」が発表された。専用のシリンダーヘッド、ウエバー製ツインキャブ、圧縮比9.4:1などのチューンを施し、最高出力は92.5馬力(DIN)/6,100rpmを発生、サスペンションも強化されていた。オレンジの塗装、ボンネットのパワーバルジ、専用ストライプが特徴で、0-60マイル加速8.9秒、最高速度174km/hというパフォーマンスを発揮し、ライバルのフォード・エスコート・メキシコ以上の性能を誇っていた。同年10月までに約200台が生産された。 10月にはGTの上位グレードとなるGLSが追加された。専用のスポーツホイールとレザートップが外観上の特徴である。同時にタイガーが正式モデル(マーク2)となり、ヘッドライトは丸型4灯化され、パワーバルジは省略、ホイールやシートも一新された。ボディカラーには赤色が追加され、約400台が生産された。 1973年3月には2ドアモデルを追加。10月には排気量が拡大され、1,250ccは1,300ccに、1,500ccは1,600ccとなった。同時に、GLとGTの1,300ccモデル及び2ドアモデルが追加された。 クライスラー・アヴェンジャー(1976 - 1978年)1976年にマイナーチェンジを受け、名称を「クライスラー・アヴェンジャー」と改めた。フロントフェイスはアルパイン(シムカ・1307/1308)風のデザインとなり、ダッシュボードやセダンモデルのテールランプなども一新された。また、給油口がボディ後部から右側に移設された。グレード体系はLS、GL(旧Super)、GLSに整理された。 1970年代後半になるとアヴェンジャーは旧態化が顕著となり、フォルクスワーゲン・ゴルフ、ルノー・14やフィアット・リトモなどに販売面で苦戦しつつあったため、クライスラーは1977年に前輪駆動の新型車「ホライズン」を発表した。 タルボット・アヴェンジャー(1978 - 1981年)1978年にクライスラーの欧州部門がPSA・プジョーシトロエン傘下になると、PSAはクライスラー製品のブランドを「タルボ」(英国読みは『タルボット』)に統一することとし、本車もタルボット(タルボ)・アヴェンジャーと改名した。しかし、タルボエンブレムへの変更は行われずに、クライスラーのペンタスターエンブレムのままで販売されていた。 その後、リンウッド工場が閉鎖された1981年に生産終了となった。 その他1977年、アヴェンジャーをベースとした3ドアハッチバック車の「サンビーム」(後のタルボット・サンビーム)が登場し、ロータス製エンジンを搭載したホモロゲーションモデル「タルボット・サンビーム・ロータス」も存在した。 →詳細は「クライスラー・サンビーム」を参照
他国での販売アヴェンジャーは欧州諸国やアメリカへ輸出され、アメリカではプリムス・クリケットとして、フランスではサンビーム・1250/1500として、その他の欧州諸国ではサンビーム・アヴェンジャーとして販売された。 また現地での生産も行われ、南アフリカではプジョーエンジンを搭載して「ダッジ」として、ニュージーランド、 デンマーク[1]、アルゼンチン、ブラジルでも「ダッジ」としてそれぞれ販売していた。中でもアルゼンチンでは1982年以降、現地工場を買収したフォルクスワーゲンブランドで1988年まで生産が続行されていた。また、イランでもノックダウン生産された。 なお、日本では総代理店伊藤忠オートが1970年に撤退したため、輸入されなかった。 脚注
参考文献
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