ヒルプリンス
ヒルプリンス (Hill Prince) はアメリカ合衆国で生産された競走馬および種牡馬である。半弟に種牡馬のファーストランディング、姪に1962年にアメリカ合衆国最優秀3歳牝馬となったシケイダがいる。1947年にクリストファー・チェネリーが経営するメドウスタッドで誕生し、そのままクリストファー・チェネリーの所有馬として競走馬となった。ヒルプリンスステークスの競走名の由来となっている馬でもある。 経歴競走馬時代2歳時の1949年7月9日に競走馬デビュー戦を迎え、デビュー戦で初勝利を挙げた。次走も勝利したが、デビュー3戦目で2着となったものの、以降は4連勝して2歳を終えた。 3歳時の1950年は、この年初戦のレースを制して前年からの連勝を5まで伸ばしたが、次走で9着となり連勝がストップすることになった。しかし続くウッドメモリアルステークスではミドルグラウンドを相手にレースを制し、そして迎えたケンタッキーダービーでは、前走で先着したミドルグラウンドに敗れて2着だった。続くウィザーズステークスとプリークネスステークスでは2走ともにミドルグラウンドを2着に封じ込めて連勝した。次のサバーバンハンデキャップで3着となって迎えたベルモントステークスでは、ミドルグラウンドに敗れて7着という結果に終わった。次のドワイヤーステークスは2着だったものの、その後アメリカンダービー、ジェロームハンデキャップ、ジョッキークラブゴールドカップを制し3連勝を達成するなどした。 4歳となった1951年は、6戦して2勝、ニューヨークハンデキャップを制しているが、前年の勢いはなかった。 5歳時の1952年は、サンマルコスハンデキャップを制したが、次のサンタアニタハンデキャップで5着となったのを最後に競走馬を引退した。 種牡馬時代競走馬引退後の5歳より種牡馬入りし、23歳時の1970年に死亡した。 産駒は牝馬の活躍馬が多かったが、後継種牡馬を残すことに成功し、父系は3代続いたものの現在は途絶えている。しかし母系に入り血脈は受け継がれている。 年度別競走成績
表彰
主な産駒
血統表
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