パパイラス(Papyrus、1920年 - 1941年)は、イギリスで競走生活を送ったサラブレッドの競走馬、および種牡馬。1923年にダービーステークスを優勝し、アメリカ合衆国のケンタッキーダービー馬とマッチレースで対決した。馬名はパピルスの英語読み。
経歴
2歳になった1922年に競走馬としてデビューし、同年にステークス競走を含む6勝を挙げた。3歳時にはスティーヴ・ドノヒュー(英語版)騎乗のもとでダービーステークスに出走し、ファロスを下して優勝した。同年はセントレジャーステークスでもトランキール(英語版)の2着に入っている。
この年の9月、パパイラスとアメリカのダービーに相当するケンタッキーダービー優勝馬ゼヴとのマッチレース(ベルモントパーク競馬場・ダート1マイル1/2)が組まれた。この競走はイギリス・アメリカのダービー馬2頭の対決として大いに注目を集めた。この遠征に際して、パパイラス陣営はドノヒューと調教師、さらに馬丁2人が付き添って乗船し、さらに特別に調整された飼料、帯同馬、そして厩舎の猫も一緒に連れて行った[1]。
対決の場となった当日のベルモントパーク競馬場は不良馬場で、しかもパパイラスにとっては初となるダートコースでの競馬であった。不慣れな環境であったほか、レース中はゼヴの蹴り上げた泥にひるんで前に行けなくなり、勝ったゼヴから5馬身離されてレースを終えた。
イギリス帰国後、パパイラスは大競走での優勝こそなかったが、エクリプスステークスやジョッキークラブステークスで2着に入っている。4歳になった1924年に引退した。
引退後は種牡馬となったが、産駒はあまり走らず、ほとんど成功できなかった。しかし繁殖入りしてから功績を挙げた産駒もおり、その代表に1926年生のオシリス[注 1]がいる。同馬はウッドコートステークス(英語版)などの勝ち馬で、アメリカに輸出されたあとにカナダのリーディングサイアーを4回獲得した。また、フランスでシャンティイ大賞などに勝ったコスキラ(wikidata)(1933年生)は繁殖牝馬としてプリンスキロ(北アメリカリーディングサイアー7回)を産んでいる。
評価
主な勝鞍
※当時はグレード制未導入
- 1922年(2歳)
- プレンダーガストステークス
- 1923年(3歳)
- ダービーステークス、チェスターヴァーズ、デュークオブヨークステークス(英語版)
- 2着 - セントレジャーステークス、エクリプスステークス、ジョッキークラブステークス、マッチレース(対ゼヴ)
- 1924年(4歳)
- 2着 - エクリプスステークス、ジョッキークラブステークス
血統表
脚注
注釈
- ^ アメリカに同名の馬がいたため、渡米後は「オシリスII (Osiris II) 」と呼ばれるようになった。
出典
参考文献
- Wright, Howard (1986). The Encyclopaedia of Flat Racing. Robert Hale. ISBN 0-7090-2639-0
外部リンク
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