ヒメナ・ガルセス (アストゥリアス王妃)
![]() ヒメナ・ガルセス(スペイン語:Jimena Garcés, ? - 912年6月)は、アルフォンソ3世の妃。ガルシア1世、オルドーニョ2世およびフルエーラ2世の母。 生涯ヒメナの生年は不明である。一部の研究者はヒメノはパンプローナ王ガルシア・イニゲスの娘であるとする一方、『ロダ写本』の系図にヒメナの名が見られないことを指摘し、この説に疑問を唱える研究者もいる[1]。しかし、中世研究者フスト・ペレス・デ・ウルベルは自身の著書『Relaciones entre los reyes de Navarra y los condes de Castilla』(1945年)の中で、ヒメナはパンプローナ副王ガルシア・ヒメネスとその2番目の妃ダディルディス・デ・パリャースの娘であり、その場合はパンプローナ王サンチョ・ガルセス1世の姉妹にあたると指摘している[1]。しかしこの場合でも、ヒメナが『ロダ写本』にガルシア・ヒメネス・デ・パンプローナの娘として見られない点に突き当たる。 908年、ヒメナは夫とともに「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」をオビエド大聖堂に寄贈した。これは、ガウソン城の金と貴重な宝石で覆われたものであった。また、同じく金と宝石で覆われた別の十字架が、夫妻からサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に寄贈された。 ヒメナは子供たちが夫に対して起こした反乱に加わり、910年に夫アルフォンソ3世を退位させた。ヒメナは912年6月に死去した。 埋葬ヒメナは夫が埋葬されていたアストルガ大聖堂に埋葬された。986年、ベルムード2世は当時レオン王国に向かって進軍してきていたアルマンソール率いるイスラム教徒の軍隊が夫妻の遺体を冒涜することを恐れ、夫妻の遺体をオビエドの町に移動させた[2]。 ヒメナと夫アルフォンソ3世の遺体は、オビエド大聖堂のヌエストラ・セニョーラ・デル・レイ・カスト礼拝堂にある王室霊廟に改葬され、アストゥリアス王家の多くの成員がそこに埋葬された。しかし18世紀初頭に王室霊廟が再建されたため、そこに埋葬されているヒメナの遺体を特定することは現在は不可能となっている[3]。 結婚と子女アルフォンソ3世との間に8子が生まれた。
脚注
参考文献
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