パークシティ豊洲
アーバンドック パークシティ豊洲(アーバンドック パークシティとよす、Urban Dock Park City Toyosu)は、東京都江東区豊洲にある超高層マンション。A棟が区内で最も高い建築物となっている。 タワーであるA棟・B棟と低層板状のC棟およびANNEXから構成され、IHI(石川島播磨重工業)と三井不動産レジデンシャルが開発・分譲にあたった。 概要1988年に東京都が臨海副都心構想で晴海大橋の建設を決定すると、ここにあった造船所でイージス艦も建造してきたIHIは、建造船の荷出しができなくなるため、再開発の検討を始める。バブル崩壊の影響で一時頓挫したが、2001年に都がまちづくり方針を打ち出すと、IHIが行う再開発の中心となる「豊洲2~3丁目地区再開発区計画」が決定。水と緑の新都心へと変貌させ、利益の柱に据えることを眼目とする再開発がスタートする[2]。 アーバンドック パークシティ豊洲は、約50haにおよぶ「産・学・住・遊・商」が一体となった大規模再開発の一環で建設され、晴海運河に面した7街区に位置する。総戸数は1481戸で、ICカードによる個人認証システム、各住戸に至るまでの4回のチェックを行う4タイムズチェックシステムを構築。全住戸MB、PS(パイプスペース)を住戸内に配置しないSI住宅とすることで実に420タイプもの豊富な住戸プランバリエーションを提供した[3]。 外構空間のほとんどの部分である公共用空地を入居者、来訪者が回遊し、安らぐことのできる緑豊かな空間とした。入居者用駐車場は全て地下に置き、地上部は歩行者が安全かつ快適に過ごせる空間とした。自走式駐車場棟の屋上は緑地とデッキの織りなす屋上庭園とし、入居者専用のアメニティとなっている。また6街区に建てられたららぽーと豊洲とは地下連絡通路で繋がっている[3]。 外観デザインは自然の印象をテーマに、柔らかく膨らんだ白い外壁、その背景となって白とさわやかな対比を生み出すライトグリーンとサーモンベージュを基調に構成している[4]。 CMには黒木瞳を起用して高級感あふれるイメージで[5]、2007年5月に販売開始したところ、約1万4000組が押し寄せ、営業担当者が悲鳴を上げたという[2]。 タワーA吹抜空間を持つセンターボイド型住棟で、北側にスリットを設けることで吹抜には光が入り込むようにした。吹抜を囲む共用廊下は長くなるが、コア分散の配置により、避難上安全で、かつ居住者へのエレベーターのサービス性能を高めた[3]。 タワーB中廊下形式としながらエレベーターホールを外部に面することで、眺望を享受できるようにした[3]。 タワーC晴海通り沿いに位置し、住宅、保育所、クリニックのコンプレックスである。超高層建物による圧迫感を緩和し街に活気と賑わいを与えている[3]。 ANNEXタワーAとタワーBの間で地上に浮かび、プールやゲストルームがある[3]。 他の街区に位置する施設
1街区には先行して、1992年にNTTデータ本社が入る豊洲センタービル(37階)が竣工し、2006年8月には隣接して豊洲センタービルアネックス(33階)が完成。NTTデータは首都圏に分散していたオフィスを集約した。同年4月には5街区にIHIの本社機能が入る豊洲IHIビル(25階)も竣工している[2]。 3-1街区にはマルハニチロ本社などが入る豊洲フロント(15階)、3-2街区に豊洲フォレシア(16階)、3-3街区に第一生命豊洲本社などが入る豊洲キュービックガーデン(14階)が建てられた。
9-2および8-4街区にシティタワーズ豊洲、8-3街区にザ・トヨス・タワー(43階)が立地。8-2街区Aには大和リビングがUR都市機構から敷地を定期借地しロイヤルパークス豊洲(14階)を賃貸経営するほか、8-2街区Bに豊洲レジデンス(14階)が立地する。
IHIがモノづくりの縁で誘致を働きかけ、2006年4月、8-1街区に芝浦工業大学が豊洲キャンパスを開設したほか、ファミリー世帯が多く移り住むことを前提に江東区に用地を提供し、2007年4月に豊洲北小学校が開校している[2]。
6街区にアーバンドックららぽーと豊洲、9-1街区にスーパービバホーム豊洲が進出。暫定利用の4-2街区にあったアニヴェルセル豊洲(結婚式場)は2021年3月末で営業を終え、跡地に三菱地所とIHIが大型オフィスを開発する[6]。 交通
脚注外部リンク |
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