パパ・タラフマラパパ・タラフマラ(Pappa TARAHUMARA)は、日本の劇団、ダンス・カンパニー。演出家の小池博史を中心に1982年に結成し、30年にわたって国内外で公演活動を続けた。略称は「パパタラ」。2012年3月解散公演を終了し[1]、小池博史の個人プロジェクト「小池博史ブリッジプロジェクト」へと移行した [2][3]。 概要1982年、小池博史を中心に一橋大学、武蔵野美術大学出身者を集め、タラフマラ劇場の名称で結成された。1987年、パパ・タラフマラに改めた。「タラフマラ」はアントナン・アルトーの著書『タラフマラ』に書かれているメキシコの秘境「タラフマラ」から取られた[4]。「パパ」には、何かをリードしていく、あるいは文化の先頭に立ちたいという思いが包含されている[5]。 パパ・タラフマラは、演出家の小池をグループの核として、ほぼ全ての作品の作・演出を行っている。その作品は、演劇、ダンス、ミュージカルなど舞台芸術の様々な要素を取り入れた作風を特徴とし、海外ではロバート・ウィルソン、日本では同時代に結成されたダムタイプ(Dumb Type)などと共通性を持つ、アート志向の強いものといえる。小池はグループの理念について、「演劇、舞踊、音楽、美術といった既存のジャンルでは括れない、そういう括りを超えていくところに僕らの存在意義がある」と端的に述べている[6]。作品には小池のオリジナルのほか、シェイクスピア、ガルシア=マルケス、チェーホフ、泉鏡花、グリム童話など、文学作品を取り入れたものも多い。巨大な舞台装置を用い、20人程の演者を擁するものもあれば、装置をほとんど用いず、2、3名のみ出演する作品もあるなど、作品の規模や形態は多様である。 「異文化」あるいは「多文化」を強く意識した作品制作や海外公演の多さもまた、グループの大きな特徴である。パパ・タラフマラの活動拠点は日本であるが、近年は毎年、海外ツアーや海外でのワークショップを長期にわたり行っている(海外公演記録参照)。出演者も香港、マレーシア、ブラジル、アメリカ、アイルランドなど多国籍であり、音楽、美術、映像の担当者も海外アーティストを起用することが多い(詳細はゲスト・パフォーマー、コラボレーション・アーティストの項を参照)。 1995年には、後進の養成を目的としてパパ・タラフマラ舞台芸術研究所(Pappa TARAHUMARA Performing Arts Institute、略称P.A.I)が創設され、多くのメンバーを輩出している。 歴史パパ・タラフマラは1982年に結成されて以降、約30年間、再演や改訂を含めず、大まかに数えて約50作品を上演している。その作品は時代によって急速に、多様な変化を遂げている。そのため、ここでは作・演出の小池が行った時代分けを参考にしつつ、グループの歴史と作品の変遷をまとめる。小池はパパ・タラフマラをその作品性に基づき、以下の8期に分けている[7]。
現在の小池のウェブサイト等ではこれとは異なる時代区分が提示されている。しかし、グループの変遷を簡略に示すため、便宜上この8つの区分を用いることとする。 第1期「タラフマラ劇場」として出発した最初期の作品は、『壊れもののために』(1982年)、『喰ふ女』(1983年)など、狭く密閉された空間において、膨大な台詞が暴力的なほどの勢いで語られる。猥雑かつ滑稽なドラマは、寺山修司や黒テントなど1960年代後半からの小劇場ブームやアングラ演劇の系譜上に位置づけられるだろう。劇団として駆け出しであり、雑誌等での評価も少ない時期だが、「アングラ第二世代」として期待を寄せてられていた[8]。 第2期タラフマラ劇場の作品は第8作『マリー 青の中で』(1985年)以降、急激に台詞は減少し、パントマイムのような動作や、歩く、走るなど日常的動作を基にした身体表現が用いられるようになる。舞台も、狂騒的な空間から整合性のとれたシンプルなものへ移行していった。『MONK』(1986年)では、九條今日子によりピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団を想起させる「トータル・シアターの誕生」であると賞された[9]。 第3期「タラフマラ劇場」から「パパ・タラフマラ」へ改称。改称の意図は、「劇場」という言葉が、「演劇」という枠組みを示すものであったからであり、「演劇」というイメージを脱却するためであったと推察される。実際に、『熱の風景』(1987年)、『アレッホ』(1987年)、『海の動物園』(1988年)といった第3期の作品は、音楽、美術、照明の空間的要素に力を入れ、台詞をほとんど廃し、インスタレーション的空間の中に演者もオブジェのように配されるスタイルとなる。 「いっさいの表象性、意味性を消去した独自の自由な表現の模索」として「ポストモダンの演劇」であると評価する者や[10]、文学的要素を廃するのはこの時代の世界的な潮流であったことから、「パパ・タラフマラの舞台は可能性に満ちている」と評されるなど[11]、この時期から雑誌等での注目が高まり始める。 第4期『パレード』(1989年)をきっかけに、パパ・タラフマラは国際的な評価を得始める。同作品は紡錘形の白いオブジェが林立する印象的な空間において、人間の営み、エネルギーの動きを「文明のパレード」として表現したもので、1992年にはダンス的要素を多く取り入れた『1992パレード』として上演された。 同じく第4期の『ストーン・エイジ』(1991年)も、『パレート』と同様に洗練されたオブジェによる空間構成による作品である。しかしながらこの作品に対しては「欧米のパフォーマンスにとりあえず似ている」とし、安易な「ボーダーレス」の標榜とオリジナリティの欠乏があるという厳しい見解を示した評も見られる[12]。 この時期の重要な点は、白井さち子や山崎広太らバレエやモダン・ダンスに基盤を持つメンバーの参加により、ダンス的要素が本格的に導入されたことと、小川摩利子らによって独特のヴォイス表現が確立されたことである。また、インスタレーション『風のながれる空間』(1989年12月、セゾン美術館)など舞台以外にも表現の幅を広げた。 第5期この時期の作品『ブッシュ・オブ・ゴースト』(1992年)、『青』(1994年)、『城―マクベス』(1995年)は、回転する装置や巨大な塔など、いずれも大掛かりなスペクタクル性のある舞台装置が特徴的な、スケールの大きな作品である。舞踊評論家の伊藤順二は『青』について「霊的なものと物的なもの、身体と宇宙、具象と抽象、といった対立、もしくは並列的概念の思想的統一、様式の壁を撃破する肉体の開放とその洗練、という点において世界のトップ・レベルにあるパフォーマンスだったといっても過言ではない」と評価したが[13]、この評価はこの時期のパパ・タラフマラの作風を端的に示している。 第6期この時期から、海外公演という形だけでなくコラボレーションという形で、パパ・タラフマラは国際的な創作活動に舵を切った。その最初が香港のアート集団ズニ・アイコサヒドロンとの合作による『草迷宮』(1996年)である。これ以降、パフォーマーのみならず、美術、映像、音楽に多くの海外アーティストを招くようになった(ゲスト・パフォーマー、主なコラボレーション・アーティストの項参照)。 『船を見る』(1997年)は、それまで模索してきたダンス、ヴォイス、空間の要素が融合し、演出の小池博史も「自分のめざしていたレベルに達したと思った」と語った[14]、パパ・タラフマラの代表作の一つである。2002年、新演出の『SHIP IN A VIEW』がヴェネツィア・ビエンナーレの招待作品として上演されたほか、南米、アジア、北米など世界各地で公演されている。同作品は海外でも高く評価され、イタリアの『ガッゼッティーノ』紙では「振付家の小池博史は、飛び抜けた発想で東洋的なものと西洋的なものとを組み合わせ、視覚的にも感情的にも衝撃的な、独自の言語を創造していることが伺えた」[15] と評された。 1997年から始まる「島」シリーズは、リュウ・ソーラ、インゴ・ギュンターといった海外アーティストを音楽、映像に起用し、4作まで作られたのち、『Love Letter』として大作『WD』(2001年)の第2章に組み込まれた。第3期以降、台詞の使用は長らく途絶えていたが、『島―Island』の頃から再び作品に用いられるようになった。 第7期『WD』(2001年)は全4章、上演約3時間の作品であり、「What have we done? われわれは何をしてきたか」をテーマに、戦争や人種差別など社会的問題をストレートに表現している。各4章はそれぞれ「I was Born」「Love Letter」「So What?」「The Sound of Future SYNC.」と題され、約2年かけて章ごとに制作、公演していくワーク・イン・プログレスという手法が取られた。韓国、マレーシア、アメリカ出身のパフォーマーを出演させ、各章のワーク・イン・プログレス公演も海外で行われている。音楽の面でも、それまでは菅谷昌弘によるミニマル・ミュージックが多かったが、リュウ・ソーラ(劉索拉)、中川俊郎、種子田郷らを加え、ブラスバンドやオーケストラ等の新たな取り組みを行った。 第8期小池は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を上演することがパパ・タラフマラ創設時からの目標の一つであったと述べている[16]。ある一族の誕生・繁栄・終末までを描いた『HEART of GOLD―百年の孤独』(2005年)は、結成から二十数年間の活動の一つの集大成として、ブラジル、アメリカ、日本など各国のパフォーマーとアーティストと共に制作された。「新たな身体言語、身体表現のさらなる進化・拡張を目指す刺激的な舞台」と評価されている[17]。 また、チェーホフ原作の『三人姉妹』(2005年)は、出演者が3人という小規模な作品ながら、出演者(白井さち子、あらた真生、関口満紀枝)のコミカルかつコケティッシュな表現で人気を博し、日本のみならずヨーロッパや南米などで公演された。 第9期(2006年以降)上記の小池の区分は2005年までであるが、2006年以降も活動は継続しているため、第9期とする。『パパ・タラフマラの「シンデレラ」』(2006年)、『トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡』(2007年)、『ガリバー&スウィフト―作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法―』(2008年)などの作品があるが、アート性を保ちつつ、『三人姉妹』などで見せたコミカルさとユーモアを追求したものとなっている。『ガリバー&スウィフト』では、現代美術作家として国際的に活躍するヤノベケンジが舞台美術を制作した。 上演作品作品タイトルの異なるものは別の作品と見なし、各作品の初演の会場・都市を年代順に記した。
海外公演歴パパ・タラフマラは日本の劇団あるいはダンス・カンパニーの中でもとりわけ海外公演の多いグループであり、そのことは大きな特徴である。現在は年に複数回の海外ツアーを行なっている。そこで、主な海外公演を以下に示した。 パレード(1989年初演)
ブッシュ・オブ・ゴースト(1992年初演)
島―Island(1997年初演)
春昼―はるひる(1998年初演)
島―東へ(1999年初演)
島&島(2000年初演)
WD―I Was Born(2001年初演)
Love Letter(2001年初演)
WD-The Sound of Future SYNC(2001年初演)
Birds on Board(2002年初演)
SHIP IN A VIEW(2002年初演)
クアラルンプールの春(2003年初演)
三人姉妹(2005年初演)
メンバー基本的には作品ごとによって出演者は替わり、これまでに海外からのゲスト出演者も多数存在した。また、近年では作品ごとにオーディションを行なうなど、メンバーの枠にとらわれないキャスティングを行なった。
過去に所属していたメンバー
ゲスト・パフォーマー
コラボレーション・アーティスト
受賞歴
脚注
参考文献
外部リンク |