バート・ネンドルフ
バート・ネンドルフ (ドイツ語: Bad Nenndorf) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州シャウムブルク郡ザムトゲマインデ・ネンドルフに属す市である。 地理位置バート・ネンドルフは、ダイスター山の北辺、シュタインフーデ湖の南 15 km に位置する。ヴェーザー川とライネ川との間の中低山地から北ドイツ低地への移行部にあたり、近隣都市としてはズートフェルト、バルジングハウゼン、ローデンベルク、ベッケドルフに囲まれ、ハノーファーからは西 26 km の位置である。 市の構成バート・ネンドルフ市は、中核市区のバート・ネンドルフとヴァルトリングハウゼン、ホルステン、リーペンの各市区からなる。 歴史ダイスター山北西の集落はおそらく9世紀初めに創設されたもので、936年のコルヴァイ修道院の史料に「Nyanthorpe」(「新しい村」の意)として初めて記録されている。 1136年に教会が建設され、1150年には「Niendorpe」という名で記録されている。この集落は、1311年にシャウムブルク伯の所領となった。さらに集落の南西に小さな集落が建設され、人々はこの2つの集落を「グロース・ネンドルフ」と「クライン・ネンドルフ」として呼び分けていた。現在の市域内に建設されたもう一つの集落「Densinghausen」は、三十年戦争の時代に廃村となった。1647年のシャウムブルク伯領分割後、ネンドルフはヘッセン=カッセル方伯領に属した。 1546年に初めて「Dübelsdreck」という名で記録されたグロース・ネンドルフとクライン・ネンドルフとの間にある硫黄泉源の効能は、後に地域住民が薬湯として用いるようになった。 ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世の命令により、リンテルン大学の医学的研究がなされた。ヴィルヘルム9世方伯は1786年に硫黄泉源の価値を理解し、翌1787年には宮廷建築家シモン・ルイ・ド・リーの総合計画に基づいて温泉施設やクアパークを有する「グーツベツィルク・ネンドルフ」を建設した。初代の温泉医長はリンテルン大学の医学部教授シュレーター医師で、彼はその著作でこの新しい温泉を有名にした。 この硫黄泉はヨーロッパで最も強いものの一つであり、リウマチ、痛風や皮膚病に大きな効果がある。ネンドルフはドイツの一流の薬湯の一つとなった。1806年に方伯は「シュレスヒェン」(ロッジ)とよばれる古典主義建築の夏の居館を建設し、その子孫達は数多いネンドルフでの滞在の際にこの居館で過ごした。1866年にバート・ネンドルフはプロイセン王国の国定温泉となり、ベルリンからの経済援助を受けて一層発展した。 この街の発展には、その地理上の位置も大変に有利に働いた。バート・ネンドルフが位置するドイツ中低山地の北辺地方は何世紀も前からライン=エルベを結ぶ通商・軍事道路として利用されており、この街は鉄道(1847年にハステまで、1872年にネンドルフまで開通)、ミッテルラント運河(1916年に開通、ハステを通る)、アウトバーン(1939年開通)で結ばれた。 ヘッセン選帝侯時代にはすでに災害時の財産保全規則が作成されていた。1858年5月22日の選帝侯領のリンテルン統治委員会規則によれば、シャウムブルク伯領の住民は火災発生時には消火活動に参加することが義務づけられていた。町長と集落代表は、予め決められた火事の目印を住民に引き渡し、多くの伝令役を割り振り、消火ポンプのある村では整然と消火するよう求められている。こうした規則に基づき、国定温泉とグロース・ネンドルフおよびクライン・ネンドルフは共同で消防団を結成した。 1880年6月6日に実質的な消火活動に関する第1回の協議が行われた。国定温泉と両ネンドルフの代表者はここで、1874年6月20日に発生した大きな旅館火災時の救援活動不足を議題に上げた。懸命な努力にもかかわらず、この建物は基礎壁に至るまで焼失した。また、1873年にはバントルファー鉱山の導水溝が決壊し、ネンドルフの半分が水に浸かったことも採り上げられた。グロース・ネンドルフと防塁との間には2つの井戸があったが、どちらも枯渇した。1880年6月6日の議論は、不十分な消火施設を国定温泉が補い、両ネンドルフ集落は消火要員を出す形で合意した。 初代の消防団長には温泉代表のマルティン・ハインリヒ・ヘックマンが選ばれ、ただちに消防団が設立され、訓練が始まった。年代記の記述によると、ヘックマンは緊張感のある秩序と軍隊式の規律を与えたのである[2]。 1929年にグロース・ネンドルフ、クライン・ネンドルフ、グーツベツィルク・バート・ネンドルフが合併して自治体としてのバート・ネンドルフが設立された。イギリス占領軍は1945年から1947年までバート・ネンドルフに捕虜収容所を置いていた。 2005年に国定温泉の大部分がニーダーザクセン州からバート・ネンドルフ市に移譲された。しかし湯治客数の減少により国定温泉の将来は不安定なものとなった。この街は交通の便がよい美しい風景で人気の住宅地として発展している。 宗教
行政議会バート・ネンドルフの市議会は27議席からなる。 首長バート・ネンドルフ市長は、2016年からマルリース・マティアス (CDU) が努めている。 姉妹都市
文化と見所演劇
伝統
博物館
音楽
年中行事
建築
公園
並木道
経済と社会資本交通バート・ネンドルフは連邦アウトバーンA2号線、連邦道B65号線、B442号線沿いに位置している。バート・ネンドルフ駅はSバーンのハステ - ハノーファー線の駅である。ハノーファー=ランゲンハーゲン空港へは車で30分ほどである。 地元企業
メディア
公共施設
病院
スポーツと余暇
教育
人物ゆかりの人物
参考文献
この文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。 引用
外部リンク |