バハラーム4世 (パフラヴィー語 :𐭥𐭫𐭧𐭫𐭠𐭭 、生年不詳〜399年)はサーサーン朝 の13代皇帝(シャーハンシャー 、在位:388年 〜399年 )。シャープール3世 の息子で、その後を継ぎ即位した。
即位する以前は、皇族王として帝国南東部のキルマーン州 (英語版 ) を統治した。バハラームはキルマーンシャー(ケルマーンシャー、キルマーン王の意)の称号を名乗り、即位後イラン西部に建設した都市ケルマーンシャー の由来となった。
バハラーム4世の治世は、比較的平穏無事であったといえる。サーサーン朝の影響下 にある東アルメニア王国 では、反抗的な態度をとる王ホスロー4世 (英語版 ) を廃位して、その弟のヴラムシャプー (英語版 ) を西アルメニア王国の王位に就けた。395年 には、フン族 がティグリス・ユーフラテス川周辺地域に侵攻 (英語版 ) してきたものの、これを撃退した。父シャープール3世と同様に、貴族との政争に敗れ暗殺されると、弟のヤズデギルド1世 が後を継いだ。
バハラーム4世の印章 は、ケルマーンシャー時代のものと、サーサーン朝皇帝時代のものの2種類が見つかっている。また、バハラーム4世以降の皇帝は、自身の硬貨に鋳造した地名を刻印することが一般的となり、バハラーム4世の統治下でも新たな貨幣鋳造所が設立されている。
名前
「Bahram (バハラーム)」はテオフォリックネーム (英語版 ) [ 注釈 2] の一種で、新ペルシア語 (英語版 ) の表記である。アヴェスター語 では、勝利の神ウルスラグナ (Vərəθraγna )を意味する。サーサーン朝時代に使われた中期ペルシア語 では、Warahrān (ワラフラーン)またはWahrām (ワフラーン)と表記し、古代ペルシア語 の「Vṛθragna 」に由来する。
また、アルメニア語 でVahagn/Vrām と読み、ギリシア語 ではBaranes となる。さらに、グルジア語 ではBaram 、ラテン語 ではVararanes とされる。
即位以前
中世の歴史家タバリー によると、バハラーム4世はシャープール2世 (在位:309年〜379年)の息子である。しかし、ハムザ・アル・イスファハニ (英語版 ) を始め複数の歴史家は、バハラーム4世はシャープール3世 (在位:383年〜388年)の息子であると記述しており、後者の説の可能性が高いと考えられている。バハラーム4世は父シャープール3世の治世の中で、皇族王として帝国南東部のキルマーン州 (英語版 ) (ケルマーン州)を統治した[ 7] 。キルマーン統治中には、Shiragan(現在のシールジャーン (英語版 ) )を建設している可能性があり、帝国の滅亡まで、Shiraganはキルマーン州の首都として機能した。また、Shiraganは貨幣を鋳造する都市として、経済的にも重要な役割を果たすだけでなく、農業的にも重要な地域であった。中世の地理学者ヤークート・アル=ハマウィー によれば、バハラーム4世はヴェフ・アルダシール(現在のバルドシール (英語版 ) )に建物を建設している。キルマンの統治者として、キルマーンシャー(ケルマーンシャー、キルマーンの王の意)を名乗った。そのため、バハラームは即位後、イラン西部に新しい都市を建設し、ケルマーンシャー と名付けた。現在のイランのケルマーンシャー州 の名前の由来かつ、その州都になっている[ 7] 。388年 、シャープール3世は貴族らとの政争に敗れ、暗殺された[ 14] 。バハラームは父の後を継ぎ、13代目のサーサーン朝皇帝(シャー)に即位した[ 7] 。
治世
ローマ帝国とサーサーン朝の国境
シャープール3世の治世中の、サーサーン朝とローマ帝国の間で、アキリセネの和約 (英語版 ) が結ばれ、アルメニア王国 はサーサーン朝の衛星国家東アルメニア王国 と、ローマ帝国の衛星国家西アルメニア王国に分割された。両アルメニア王国の分割線は、北はテオドシオポリス から南はアミダ (英語版 ) まで引かれていて、アルメニアの大部分はサーサーン朝の手中に入った。なおアキリセネの和約がいつ締結されたかは正確には分からないが、ほとんどの歴史家は387年 に締結されたと推測している。西アルメニア王国では、アルサケス朝 (英語版 ) の王アルサケス3世 (英語版 ) (在位:378年〜387年)が死んだため、ローマ帝国はアルサケス朝を廃止して、東ローマ帝国領アルメニア (英語版 ) として直接統治に乗り出した。ペルサルメニア(Persarmenia)とも呼ばれる、サーサーン朝の影響下にあるアルメニアでは、アルサケス朝が存続し、ホスロー4世 (英語版 ) が王位に就いていた。バハラーム4世はホスロー4世に不信感を抱き始めた。結果、ホスロー4世を廃位して、その弟ヴラムシャプー (英語版 ) が王位を継承した。ホスロー4世を廃位した直接の原因は、サーサーン朝に意見を伺わないまま、サハク (英語版 ) をカトリコス (総主教)に任命したことともされる。
395年、フン族 がローマ帝国のソフィーネ (英語版 ) 州、西アルメニア、メソポタミア 、シリア 、カッパドキア (英語版 ) に侵攻した。多くの捕虜を引き連れてガラティア まで到達した。今度はサーサーン朝領に侵攻し (英語版 ) 、ティグリス川 ・ユーフラテス川 沿いの田園地帯を破壊して回った。しかし、サーサーン朝軍はすぐに反撃し、フン族の軍は敗れ、フン族の戦利品を奪回した。バハラーム4世はローマ人の捕虜たちにヴェフ・アルダシール (英語版 ) とクテシフォン に留まることを許し、パンやワイン、油など食料を恵んでいる。フン族から解放された捕虜のほとんどは、後に故郷に戻った。フン族の侵攻を受け、サーサーン朝は、地形的に見て防御に向いていないために、イラン地域をより厳重に防御する必要があることを指し示している。
399年、バハラーム4世は狩猟中に矢に当たり、死亡した。9世紀の歴史家アブー・ハニーファ・ディーナワリー はこの事件を単なる事故としているが、タバリー は「殺人集団による犯行」と記述している。現代の歴史家たちは、この事件の背後で貴族が暗躍していたという説を唱えている。スコット・マクドナウ(Scott McDonough)によると、バハラーム4世は、サーサーン朝の軍事力の大半を掌握していた、パルティア系貴族(ウズルガーン (英語版 ) )の勢力を削減しようとしたために殺害された。パルティア系貴族はイラン高原 を勢力基盤にして、自治権を持っているなど、サーサーン朝から半ば独立状態にあった。当時のサーサーン朝皇帝は、パルティア系貴族の勢力を抑えようと試みては、皇帝自身が暗殺される結果に終わっていた。スコット・マクドナウは、パルティア系貴族があくまでも個人的な利益や盟約のために行動しており、ペルシャ人 であるサーサーン朝の皇帝に協力していたのは、おそらく同じ「アーリア人」(イラン人)であるという民族意識によるものと主張している。バハラーム4世の没後、弟のヤズデギルド1世 が後を継いで皇帝に即位した。ヤズデギルド1世は貴族たち行動を警戒し抑制しようと努め、キリスト教徒を重用したが、彼もまた貴族から暗殺されている。
人柄
アラビア語 資料における、バハラーム4世に対しての評価は賛否両論あるが、概ね好意的に描かれている。タバリー はバハラーム4世の統治に対して、「立派な方法で臣民を統治し、その統治は賞賛された」と記述している。9世紀の学者イブン・クタイバ はバハラーム4世の「正義と善政の追求」に言及している。対してハムザ・アル=イスファハニ (英語版 ) は「尊大だが、残酷で臣民を無視した統治者」と評価している。12世紀の歴史家イブン・アル=バルヒー (英語版 ) も、「決してマザリム (英語版 ) (=裁判所)を置かなかった自己中心的な王」と否定的に評価している。
硬貨
バハラーム4世のドラクマ硬貨 (英語版 ) 。スパーハーン (英語版 ) もしくはクテシフォン で鋳造された。
バハラーム4世の硬貨 (英語版 ) では、翼の装飾がついた王冠を被った姿で描かれており、ウルスラグナ (バハラーム)をモチーフとしている。飾り翼はゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダー の象徴である城壁冠 に取り付けられている。
バハラーム4世は、サーサーン朝において初めて王冠に2人の神の要素を組み合わせた。このような複数の神の象徴を組み合わせた王冠は、以降の歴代皇帝にも引き継がれた。また、硬貨にその鋳造した場所を刻むことが一般的になったのもバハラーム4世の統治下であった。鋳造場所を明記することで、硬貨の起源をより簡単に識別できるようになった。特に東部の州アバルシャフル (英語版 ) では、サーサーン朝統治下で鋳造された硬貨のうちバハラーム4世時代のものが19パーセントを占めていて、統治者別にみると最大の割合を誇るである。アバルシャフルで大量に生産された硬貨は、主に同地に駐留する大規模な軍隊を維持するための資金として使われた。
シャープール2世、アルダシール2世、シャープール3世のように、バハラーム4世もインドのシンド (おそらくヒンド (英語版 ) 州に相当)でシンド独特の金貨 (英語版 ) を鋳造している。バハラーム4世の治世下では、フージスタン (英語版 ) 州のジュンディーシャープール やスーサ 等の都市に貨幣鋳造所が設立された。また、北西部のアードゥルパーダガーン (英語版 ) 州でも貨幣鋳造所が設立された。そこで鋳造された貨幣は、たびたびフン族 が侵入してくるコーカサス 地方の国境に、侵入の対策としてカスピ海の門 (英語版 ) を建設する費用に投じられた。
印章
特徴的な王冠を被り、敵の死体(モチーフは不明)を踏み付けているバハラーム4世を描いたオニキス 製の印章 (英語版 ) 。大英博物館 所蔵。
キルマーンシャー(ケルマーンシャー)としてのバハラーム4世の印章が現存している。中期ペルシア語 で書かれた銘刻は「マズダ(アフラ・マズダ)を崇拝する王にしてイラン人と非イラン人の諸王の王、王たちの後継者、シャープール。その息子のワフラーン(=バハラーム)・ケルマーンシャー」と記されている。また、シャーハンシャーとしてのバハラーム4世の印章も発見されている。大英博物館 に所蔵されているこの印章(右図)には、特徴的な王冠を被り、槍を持って、敵の死体を踏み付けてるバハラーム4世が描かれている。この倒れた敵は、アルダシール2世 が造影したレリーフに描かれた人物と似ている。そのレリーフに描かれた人物は、363年にサーサーン朝との戦いの最中、暗殺されたローマ帝国の皇帝ユリアヌス とされている。よって、バハラーム4世の印章に描かれている人物もユリアヌスであり、バハラーム4世もユリアヌスの敗北に関与したことを示唆することで、自身の正当性と強さを主張していると推論されている。
脚注
注釈
^ イラン人と非イラン人の諸王の王とも。
^ 古代ギリシアや、メソポタミア等で見られる、神の加護を受けるために付けられた、神の名前に由来関連する名前である。
引用
参考文献
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