バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ
バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ(Bachman-Turner Overdrive)はカナダのロック・バンド。B.T.O.あるいはBTOとも略される。元ゲス・フーのランディ・バックマンを中心に1973年に結成された。 1970年代に全世界で3000万枚のアルバムを売り上げ、米ビルボード・ヒットチャートにおいて6曲のナンバー40ヒットを記録した[1]。 来歴1971年、ゲス・フーを脱退したランディ・バックマン(G,V)は、同じく元ゲス・フーのチャド・アラン(Key,V)、弟ロビー・バックマン(D)とブレイヴ・ベルト(Brave Belt)を結成[2]して、同年デビュー・アルバム[3]を発表。翌1972年にはC.F.ターナー(B,V)を迎えてセカンド・アルバム[4]を発表した。その直後にアランが脱退し、もう一人のバックマン兄弟[注釈 1]である弟ティム・バックマン(G)が参加。 1973年、ブレイヴ・ベルトはバンド名をバックマン・ターナー・オーヴァードライヴと変え、5月にファースト・アルバム『バックマン・ターナー・オーヴァードライブ』、12月にセカンド・アルバム『バックマン・ターナー・オーヴァードライブ II』をリリース。後者は米ポップアルバムチャートの4位、シングルカットされた「仕事に御用心」(原題「Takin' Care of Business」)が米ビルボード12位、「レット・イット・ライド」が同23位となる。 1974年、ティム・バックマンが脱退。ブレア・ソーントン(G)を迎えてツイン・リード・ギター体制となり、同年9月に『驚異のロックン・ロール・マシーン ノット・フラジャイル』を発表する。同アルバムは米ポップアルバムチャートの1位となり[5]、シングル「恋のめまい」(原題「You Ain't Seen Nothing Yet」)が米ビルボード1位[注釈 2]、英ヒットチャート2位[6]。「ハイウェイをぶっ飛ばせ!」(原題「Roll On down the Highway」)が米ビルボード14位を記録。彼等はトップ・バンドの地位を得た。 1975年5月発表のアルバム『四輪駆動』は前作の延長線上にあるともいえ[7]、米ポップアルバムチャート5位となり「ヘイ・ユー」のシングルヒットを生んだ。同年12月、以前よりもポップ色の強い『ヘッド・オン』をリリース。米ポップアルバムチャート23位となり、「テイク・イット・ライク・ア・マン」、「ボサノバNo.1」(原題「Lookin’ Out for #1」)[注釈 3]のシングルヒットを生んだ。1976年10月末から11月にかけて日本公演を行ない、その模様を1977年に『ジャパン・ツアー/B.T.O.ライブ・イン・ジャパン』[注釈 4]としてカナダと日本で発表した[8]。 1977年2月、『爆走フリーウェイ』をリリースするが、ランディ・バックマンは他のメンバーとの音楽的志向のずれが深まり脱退した。 ターナーはサイド・ギターにコンバートし、ジム・クレンチ(B,V)を迎えてバンド名もBTOと短縮して[2]再出発を計り、『ストリート・アクション』(1978年)、原点回帰的な『ロックン・ロール・ナイツ』(1979年)をリリースするが、いずれもセールスは伸びず、ツアー後にバンドは解散する。 1983年、ランディ・バックマン、ティム・バックマン、ターナーのオリジナル・メンバー3名にゲイリー・パターソン(D)が加わって再結成し、スタジオアルバムとライヴアルバムをリリース。その後ランディ、ロビー、ターナー、ソーントンの最盛期のメンバーでの再結成なども行うが、いずれも散発的で2005年には再び解散してしまう。 2009年、ランディ・バックマンはターナーとプロジェクト的なバックマン&ターナー[9]を結成。ライヴではバックマン・ターナー・オーヴァードライヴの曲の再演などを行った。 2023年1月、ロビー・バックマン死去。享年69歳。 2023年4月、ティム・バックマン死去。享年71歳。 ディスコグラフィ(邦題はLPリリース時、""内は原題) スタジオ・アルバム
ライヴ・アルバム
日本公演1976年
脚注注釈
出典
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