数学 におけるハーン–バナッハの定理 (ハーン–バナッハのていり、英 : Hahn–Banach theorem )は、関数解析学 の分野における中心的な道具で、ベクトル空間 の部分空間上で定義される有界線形汎関数 が全空間へ拡張できることについて述べたものである。これにより、どのようなノルム線形空間 においても、その上で定義される連続 線形汎関数が、双対空間 の研究を「面白い」ものにするに「十分」なほどたくさんあることがわかる。ハーン-バナッハの定理の別形態のものとして、ハーン–バナッハの分離定理 あるいは分離超平面定理 と呼ばれるものがあり、凸幾何学 (英語版 ) の分野で多く用いられている。
定理の名前の由来は、1920年代後半にそれぞれ独立にこの定理を証明したハンス・ハーン とステファン・バナッハ である。定理の特別な場合[ 1] については、より早い段階(1912年)でエードゥアルト・ヘリー によって証明されており[ 2] 、またこの定理が導出されるようなある一般の拡張定理が、1923年にマルツェル・リース によって証明されていた[ 3] 。
定式化
定理の最も一般な定式化においては、いくつかの準備が必要とされる。実数 体 R 上のベクトル空間 V に対し、関数 ƒ : V → R が劣線形 (英語版 ) であるとは、
任意の
γ
∈
R
+
{\displaystyle \gamma \in \mathbb {R} _{+}}
および x ∈ V に対して
f
(
γ
x
)
=
γ
f
(
x
)
{\displaystyle f(\gamma x)=\gamma f\left(x\right)}
が成立する(正同次性 )
任意の x , y ∈ V に対して
f
(
x
+
y
)
≤
f
(
x
)
+
f
(
y
)
{\displaystyle f(x+y)\leq f(x)+f(y)}
が成立する(劣加法性 )
が成立することを言う。
V 上のすべての半ノルム (特に、V 上のすべてのノルム )は劣線形である。他の劣線形関数、特に凸集合のミンコフスキー汎関数 なども同様に有用なものとなりうる。
ハーン-バナッハの定理 は次のようなものである:
N
:
V
→
R
{\displaystyle \scriptstyle {\mathcal {N}}:\;V\to \mathbb {R} }
が劣線形関数で、φ: U → R が線形部分空間 U ⊆ V 上の線形汎関数 であり、U 上では φ は
N
{\displaystyle \scriptstyle {\mathcal {N}}}
によって支配 されるようなもの、すなわち
φ
(
x
)
≤
N
(
x
)
∀
x
∈
U
{\displaystyle \varphi (x)\leq {\mathcal {N}}(x)\qquad \forall x\in U}
が成立するようなものとする。このとき、φ には全空間 V へのある線形拡張 ψ: V → R が存在する。すなわち、次を満たすような線形汎関数 ψ が存在する:
ψ
(
x
)
=
φ
(
x
)
∀
x
∈
U
{\displaystyle \psi (x)=\varphi (x)\qquad \forall x\in U}
および
ψ
(
x
)
≤
N
(
x
)
∀
x
∈
V
.
{\displaystyle \psi (x)\leq {\mathcal {N}}(x)\qquad \forall x\in V.}
(Rudin 1991 , Th. 3.2)
ハーン–バナッハの定理 の別形態は次のようなものである: V を係数体 K (実数 R あるいは複素数 C )上のベクトル空間とし、
N
:
V
→
R
{\displaystyle \scriptstyle {\mathcal {N}}:\;V\to \mathbb {R} }
を半ノルムとし、φ: U → K を V の K -線形部分空間 U 上の K -線形汎関数とし、U 上ではその絶対値が
N
{\displaystyle \scriptstyle {\mathcal {N}}}
によって支配されるもの、すなわち
|
φ
(
x
)
|
≤
N
(
x
)
∀
x
∈
U
{\displaystyle |\varphi (x)|\leq {\mathcal {N}}(x)\qquad \forall x\in U}
が成立するものとする。このとき、φ には全空間 V への線形拡張 ψ: V → K が存在する。すなわち、次を満たすような K -線形汎関数 ψ が存在する:
ψ
(
x
)
=
φ
(
x
)
∀
x
∈
U
{\displaystyle \psi (x)=\varphi (x)\qquad \forall x\in U}
および
|
ψ
(
x
)
|
≤
N
(
x
)
∀
x
∈
V
.
{\displaystyle |\psi (x)|\leq {\mathcal {N}}(x)\qquad \forall x\in V.}
この定理の複素数の場合において C -線形性を仮定として要求するということは、実数の場合での仮定に、すべてのベクトル x ∈ U に対して、ベクトル i x も U に属し、φ (i x ) = i φ (x ) が成立するという仮定を加えて要求するということである。
一般には、拡張 ψ は φ によって一意に定まるものではなく、また、定理の証明を見ても ψ を見つける明示的な方法は分からない。無限次元空間 V の場合には、選択公理 の一形態であるツォルンの補題 が、証明に必要とされる。
(Reed & Simon 1980 )によれば、
N
{\displaystyle \scriptstyle {\mathcal {N}}}
に対する劣線形性の条件は、条件
N
(
a
x
+
b
y
)
≤
|
a
|
N
(
x
)
+
|
b
|
N
(
y
)
,
x
,
y
∈
V
,
|
a
|
+
|
b
|
≤
1
{\displaystyle {\mathcal {N}}(ax+by)\leq |a|\,{\mathcal {N}}(x)+|b|\,{\mathcal {N}}(y),\qquad x,y\in V,\quad |a|+|b|\leq 1}
に、少し弱めることが出来る。この条件は、ハーン–バナッハの定理と凸性 の間の深い関係を明らかにするものである。
Mizarプロジェクト は、ハーン–バナッハの定理の完全な定式化と自動検証された証明をHAHNBAN file に有している。
重要な帰結
この定理にはいくつかの重要な帰結が存在し、しばしばそれらも「ハーン–バナッハの定理」と呼ばれることがある。
V をノルム線型空間、U をその線形部分空間(必ずしも閉ではない)とし、作用素 φ: U → K は連続かつ線型であるとする。このとき、φ には連続かつ線型な拡張 ψ: V → K が存在し、そのノルムは φ と等しいものとなる(線型写像のノルムについては「バナッハ空間 」を参照されたい)。これはすなわち、ノルム線型空間の圏において、空間 K は入射的対象 であることを意味する。
V をノルム線型空間、U をその線型部分空間(必ずしも閉ではない)とし、z を、U の閉包 に含まれないような V の元とする。このとき、すべての U の元 x に対しては ψ(x ) = 0 であり、ψ(z ) = 1 および ǁψǁ = 1 ⁄ dist(z , U ) を満たすような連続線型作用素 ψ: V → K が存在する。
特に、ノルム線型空間 V の任意の元 z に対して、
ψ(z ) = ǁzǁ かつ ǁψǁ ≤ 1 を満たすような連続線型作用素 ψ: V → K が必ず存在する。このことは、ノルム線型空間 V からその二重双対 V ′′ への自然な単射 は等長写像であるということを意味する。
ハーン–バナッハの分離定理
ハーン–バナッハの定理の別形態のものとして、ハーン–バナッハの分離定理 というものが知られている[ 4] 。この定理は凸幾何学 (英語版 ) [ 5] 、最適化理論 、経済学 の分野で幅広く用いられている。
定理.
V を、K (= ℝ または ℂ ) に対する位相ベクトル空間 とし、A および B を、V の空でない凸な部分集合とし、A ∩ B = ∅ とする。このとき、次が成立する:
A が開ならば、ある連続線型作用素 λ: V → K および実数 t ∈ R が存在して、Re λ(a ) < t ≤ Re λ(b ) がすべての a ∈ A , b ∈ B に対して成立する。
V が局所凸、A がコンパクトで、B が閉ならば、ある連続線型作用素 λ: V → K および実数 s , t ∈ R が存在して、Re λ(a ) < t < s < Re λ(b ) がすべての a ∈ A , b ∈ B に対して成立する。
選択公理との関係
上述のように、選択公理 からハーン–バナッハの定理は従うが、その逆は真ではない。このことを示す一つの方法としては、選択公理よりも真に弱いウルトラフィルターの補題 (英語版 ) からハーン・バナッハの定理を証明することができるが、この場合その逆は成り立たないということに着目すればよい。ハーン–バナッハの定理は、実は、ウルトラフィルターの補題よりもさらに弱い仮定を用いて証明することも出来る[ 6] 。
更に、ブラウンとシンプソンは、弱ケーニヒの補題 を公理の一つとする二階算術 (英語版 ) の部分体系WKL0 から可分 なバナッハ空間 上の有界 線型汎関数に対するハーン-バナッハの定理がしたがう、ということを証明した[ 7] 。
C [a , b ] の双対空間
ハーン–バナッハの定理の帰結として、次のようなものも存在する。
命題.
−∞ < a < b < ∞ のとき、F ∈ C [a , b ]∗ であるための必要十分条件は、有界変動関数 ρ: [a , b ] → R が存在して
F
(
u
)
=
∫
a
b
u
(
x
)
d
ρ
(
x
)
{\displaystyle F(u)=\int _{a}^{b}u(x)\,d\rho (x)}
がすべての u ∈ C [a , b ] に対して成立することである。
さらに、ρ の全変動 V (ρ) に対し、ǁFǁ = V (ρ) が成立する。
関連項目
注釈
^ ある区間 [a , b ] 上の連続関数からなる空間C [a , b ] の場合。
^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F. , “ハーン–バナッハの定理” , MacTutor History of Mathematics archive , University of St Andrews , https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Helly/ .
^ リースの拡張定理 を参照されたい。Gȧrding, L. (1970). “Marcel Riesz in memoriam”. Acta Math. 124 (1): I–XI. MR 0256837 . によれば、1918年にはすでにリースはこの定理の内容について知っていたとされる。
^ Gabriel Nagy, Real Analysis lecture notes
^ Harvey, R.; Lawson, H. B. (1983). “An intrinsic characterisation of Kahler manifolds”. Invent. Math 74 (2): 169–198. doi :10.1007/BF01394312 .
^ Pincus, D. (1974). “The strength of Hahn–Banach's Theorem”. Victoria Symposium on Non-standard Analysis . Lecture notes in Math.. 369 . New York: Springer. pp. 203–248. ISBN 0-387-06656-X Citation from Foreman, M.; Wehrung, F. (1991). “The Hahn–Banach theorem implies the existence of a non-Lebesgue measurable set” . Fundamenta Mathematicae 138 : 13–19. http://matwbn.icm.edu.pl/ksiazki/fm/fm138/fm13812.pdf .
^ Brown, D. K.; Simpson, S. G. (1986). “Which set existence axioms are needed to prove the separable Hahn–Banach theorem?”. Annals of Pure and Applied Logic 31 : 123–144. doi :10.1016/0168-0072(86)90066-7 . Source of citation .
参考文献
Lawrence Narici and Edward Beckenstein, "The Hahn–Banach Theorem: The Life and Times ", Topology and its Applications , Volume 77 , Issue 2 (1997) pages 193–211.
Michael Reed and Barry Simon, Methods of Modern Mathematical Physics, Vol. 1, Functional Analysis, Section III.3. Academic Press, San Diego, 1980. ISBN 0-12-585050-6 .
Rudin, Walter (1991). Functional Analysis (2nd ed.). McGraw-Hill Science/Engineering/Math. ISBN 978-0-07-054236-5
Terence Tao, The Hahn–Banach theorem, Menger’s theorem, and Helly’s theorem
Eberhard Zeidler, Applied Functional Analysis: main principles and their applications , Springer, 1995.