ハージティ・アンドラーシュ
ハージティ・アンドラーシュ(Hargitay András、1956年3月17日 - )は、ハンガリー・ブダペスト出身の元男子競泳選手。1972年ミュンヘンオリンピック400m個人メドレーの銅メダリストであり、同種目の元世界記録保持者。個人メドレーで3度の世界選手権チャンピオン、2度のヨーロッパ選手権チャンピオンに輝き、バタフライでもヨーロッパ選手権チャンピオンに輝いた選手である。 経歴1972年8-9月、ミュンヘンで開催されたオリンピックに16歳で出場。400m個人メドレーでは予選1組目で4分37秒51のオリンピック新及びハンガリー新記録を樹立したが、2組目のグンナル・ラーションがオリンピック記録を4分34秒99に更新した。迎えた決勝では予選のハンガリー記録を大幅に更新する4分32秒70をマークし、4分31秒98のオリンピック新記録(当時)を樹立したグンナル・ラーションとティム・マッキーに次いで銅メダルを獲得した。この銅メダルはハンガリーにとって16年ぶりとなるオリンピック競泳競技のメダルとなった[1][2][3]。 1973年9月、ベオグラードで開催された第1回世界選手権に出場。400m個人メドレー決勝で大会新及びヨーロッパ新記録(当時)の4分31秒11をマークし、2位のロッド・ストラカンに2秒39の差をつけて初の世界タイトルを獲得した。また、これはハンガリーが世界選手権で獲得した最初の金メダルとなった[4][5]。 1974年8月、ウィーンで開催されたヨーロッパ選手権に出場し、200mバタフライと400m個人メドレーの2冠を達成した[6]。400m個人メドレー決勝でマークした4分28秒89は、アメリカのゲーリー・ホール・シニアが保持していた世界記録(4分30秒81)を2年ぶりに塗り替えるタイムであり、この世界記録は1976年4月に同じハンガリー人のベラスト・ゾルターンが4分26秒00をマークするまで保持された[7]。 1975年7月、カリで開催された世界選手権に出場し、個人メドレー2冠(200m・400m)を達成した。200m個人メドレーは2分7秒72の大会新記録(当時)を樹立したものの、2位のスティーブ・ファーニスとは0秒03差という僅差での勝利だったが[8]、400m個人メドレーは2位に3秒07の差をつける圧勝だった[9]。 1976年7月、モントリオールで開催されたオリンピックに出場。400m個人メドレーでは、世界新記録(当時)で優勝したロッド・ストラカン(4分23秒68)、ティム・マッキー(4分24秒62)、アンドレイ・スミルノフ(4分26秒90)に次ぐ4位に終わり、0秒23差で2大会連続のメダルを逃した[10]。 1978年8月、西ベルリンで開催された世界選手権に出場。400m個人メドレーでは、世界新記録(当時)で優勝したジェシー・バサロ(4分20秒05)、セルゲイ・フェセンコ(4分22秒29)に次ぐ3位に入り、3連覇は逃したものの3大会連続のメダルを獲得した[11]。 1980年7月、モスクワで開催されたオリンピックの400m個人メドレーに出場。2大会ぶりのメダルがかかった決勝では、オリンピック新記録(当時)を樹立したアレクサンドル・シドレンコ(4分22秒89)、セルゲイ・フェセンコ(4分23秒43)、ベラスト・ゾルターン(4分24秒24)に次ぐ4位に終わり、0秒24差でメダルを逃した[12]。 現役中に獣医師になることを決意し、しばらくは大学と水泳を両立していたが、トレーニング中にダルニュイ・タマスに負けたことがきっかけとなり、1982年に現役を引退した[13][14]。 獣医師の傍ら、1988年ソウルオリンピックと2016年リオデジャネイロオリンピックで水泳ハンガリー代表のヘッドコーチを務めた[13][15][16]。 主要国際大会の成績
脚注注釈
出典
外部リンク
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