ハンス・クルフェール
ハンス・クルフェール(Hans Cleuver、1947年5月8日 - 2018年3月4日)は、オランダのロック・ミュージシャン。1970年に結成され、国際的に成功したオランダのロック・バンドの最古参の一つであるフォーカスの初代ドラマー。 来歴オランダ領東インド時代のジャカルタで生まれ、幼少期に両親と帰国してアムステルダムに住んだ。5歳でドラム・スティックを手にして、直ぐにマーチング・バンドの指導者にレッスンを受け始めた。思春期にはジャズを好んで演奏し、ジャズ・ピアニストのルイス・ヴァン・ダイクのトリオのドラマーだったジョン・エンゲルス[1]の指導を受けた。幾つかのR&B・グループやポップ・グループに在籍した後、アムステルダム大学で心理学を学びながら、Katholieke Radio Omroep (KRO)に出演して演奏するようになった[2]。 1969年、クルフェールはタイス・ファン・レール(キーボード、フルート、ボーカル)を招き、同じくKROに出演していたマーティン・ドレスデン(ベース・ギター)と3人で「トリオ・タイス・ファン・レール」を結成した[3]。彼等はオランダの国民的な歌手であるラムゼス・シャフィのショーの伴奏を務めたほか、テレビやラジオのコマーシャル音楽を演奏して収入を得、やがて自分達のコンサートを開くようになった[4]。さらに、ブレインボックスのメンバーだったギタリストのヤン・アッカーマンと幾つかの演奏活動で一緒になったあと彼を迎えて、4人編成の「フォーカス」になった。彼等は1969年の秋からライブ活動を行なったほか、オランダ人によるブロードウェイ・ミュージカル「ヘアー」のアムステルダム公演の伴奏を担当した[5]。 1970年1月、フォーカスはロンドンのスタジオでHubert Terheggenをプロデューサーに迎えて、デビュー・アルバムFocus Plays Focusを制作して、1970年9月にオランダで発表した。クルフェールの父親のエリックが収録曲の幾つかの作詞を行なった[6]。彼等は続いてアッカーマン作の新曲'House Of The King'を録音した[7]。しかし、アッカーマンがファン・レールとそりが合わずにフォーカスを脱退しようとしたので、'House Of The King'のシングルを発表する予定だったレコード会社は、アッカーマンとファン・レールに一緒に活動を続けるように説得した。アッカーマンはフォーカスに留まる条件として、ブレインボックスの同僚だったピエール・ファン・デル・リンデン(ドラムス) と、かつてブレインボックスに迎えようとしたシリル・ハフェルマンス〈ベース・ギター、ボーカル)の二人をフォーカスに迎えることをあげた。そこでファン・レールはクルフェールとドレスデンに別れを告げてアッカーマン達と合流して、1970年12月に新しいフォーカスを出発させた[8]。 フォーカスを去らざるを得なくなったクルフェールは、ビジネスに才能を発揮して、ファン・レールやアッカーマンのマネージャーを務めた[9]ほか、1982年、デン・ハーグにDrumschool Cleuverを設立して、多くのドラマーを輩出した[10]。 1996年5月、クルフェールはファン・レール、フォーカスの3代目のベーシストのベルト・ライテルとフォーカスを復活させる計画を立てた。翌1997年4月、ギタリストのメンノ・ホーチェス[11]を交えた4人は、ライテルの自宅にあるデジタル・オーディオ・ワークステーションを用いてデモを制作した。そして8月30日、4人は北ブラバント州でフォーカスとしてライブを行なって新作と旧作を披露。クルフェールはマネージャーを兼任した。1998年4月5日には、ファン・レールがオランダの一般社団法人ラジオ放送協会(Algemene Vereniging Radio Omroep, ARVO)の75周年の記念番組に出演して、フォーカスの復活を明言した。しかし、ライテルは復活の機は未だ熟していないと主張してファン・レールと対立して離脱し、この計画は潰れてしまった[12]。 2018年3月4日、他界[10]。享年70歳。 ディスコグラフィトリオ・タイス・ファン・レール
フォーカス
脚注注釈
出典
引用文献
|