ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン

ハンス・カール・フライヘア・フォン・ヴェアテルン
Hans Carl Freiherr von Werthern
生誕 1953年8月4日
西ドイツの旗 西ドイツラインラント=プファルツ州ビューデスハイムドイツ語版
国籍 ドイツの旗 ドイツ
別名 魏 翰楷(ウェイ・ハンカイ)[1]
出身校 マインツ大学 経済学博士号
職業 外交官
活動期間 1984年外務省入省
肩書き 駐日ドイツ大使
任期 2014年 - 2019年
前任者 フォルカー・シュタンツェル
後任者 イナ・レーペル
子供 三人
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ハンス・カール・フライヘア・フォン・ヴェアテルンドイツ語: Hans Carl Freiherr von Werthern1953年8月4日 - )ドイツ出身の外交官西ドイツ時代の1984年外務省に入省して以来一貫して外交畑を歩んでおり、様々な職務を歴任した後、2014年から2019年にかけて駐日ドイツ大使を務めた。

略歴

  • 1953年 - ビューデスハイム生まれ[2]
  • 1979年 - マインツ大学経済学修士号取得[2]
  • 1984年 - 外務省入省[3][2]
  • 1985年 - マインツ大学経済学博士号取得[3]
  • 1987年 - 駐ベトナム大使館公館次席英語版[4]
  • 1990年 - NATO代表部政治課[4]
  • 1992年 - 外務省研修所上級職研修班長代理(Stv. Ausbildungsleiter für den Höheren Dienst[2]
  • 1994年 - 駐パラグアイ大使館公館次席[4]
  • 1997年 - 外務省西欧課(Westeuropa-Referats)課長代理[2]
  • 2000年 - 自由民主党連邦議会会派ドイツ語版欧州政策担当[2]
  • 2004年 - 外務省「日本におけるドイツ年2005/2006」(Deutschland in Japan 2005/2006)準備室長[2]
  • 2005年 - 外務省東アジア課(Ostasienreferats)課長[2]
  • 2007年 - 駐中国大使館文化参事官[5]、政治部長[4]公使[2]。当時は中国語の名前「魏翰楷」(ウェイ・ハンカイ)を付ける[1]
  • 2010年 - 外務省中央局(Zentralabteilung)局長代理(人事担当)[2]
  • 2011年 - 外務省中央局長[2]
  • 2014年 - 駐日ドイツ大使(2019年6月30日まで在任[6][2]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b (Germany)德意志联邦共和国大使馆” (中国語). 中華人民共和国外交部. 2016年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 大使 略歴 ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン(Dr. Hans Carl von Werthern)”. 駐日本ドイツ連邦共和国大使館. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月28日閲覧。
  3. ^ a b Exchange Program for Regional Integration in East Asia and Europe (EPRIE) - Nations and Identities - :Profiles of Speakers” (英語). コリア協議会. p. p3 (2015年). 2016年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月29日閲覧。
  4. ^ a b c d About the lecturer: Ambassador of German to Japan, Dr. Hans Carl von Werthern” (英語). Kwansei Gakuin University (2015年10月13日). 2016年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月29日閲覧。
  5. ^ 对外交流” (中国語). 中国人民大学法学院中国語版 (2010年4月3日). 2016年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月29日閲覧。
  6. ^ 日独「開かれた市場へ協力を」 駐日ドイツ大使が離任会見  :日本経済新聞

関連項目

外部リンク

公職
先代
フォルカー・シュタンツェル
ドイツの旗 駐日ドイツ大使 日本の旗
2014年 - 2019年
次代
イナ・レーペル
先代
シュテファン・ヘルツベルク
ドイツの旗 駐日ドイツ大使館公館長 日本の旗
2014年 - 2019年
次代
クラウス・フィーツェ