ハロルド・ハームズワース (初代ロザミア子爵)
初代ロザミア子爵ハロルド・ハームズワース(英: Harold Harmsworth, 1st Viscount Rothermere, PC、1868年4月26日 – 1940年11月26日)は、イギリスの実業家、政治家、貴族。 兄の初代ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワースからアソシエイテッド・ニュースペーパーズを引き継いだ。 経歴1868年4月26日、アルフレッド・ハームズワースとその妻ジェラルディン(旧姓マフェット)の次男としてロンドン・セント・ジョン・ウッドに生まれる[3]。兄にアルフレッド(初代ノースクリフ子爵)、弟にセシル(初代ハームズワース男爵)、レスター(初代準男爵)、ヒルデブラント(初代準男爵)らがいる[4]。 1894年から兄アルフレッドの新聞経営に参画する。1897年には兄との共同出資で新聞社を株式会社ハームズワース・ブラザーズに改組した[5]。 1910年7月14日に準男爵に叙される[6]。ついで1914年1月17日に連合王国貴族爵位ロザミア男爵に叙され[7]、貴族院議員に列する[8]。 政治面では自由貿易と空軍強化を主張し[9]、第一次世界大戦末の1917年11月から1918年4月にかけてロイド・ジョージ内閣で航空長官を務めた[1]。 1922年の兄の死でアソシエイテッド・ニュースペーパーズ社長職を引き継いだ[9]。とりわけ『デイリー・メール』紙の発行で知られる[11]。 1930年前後には『デイリー・エクスプレス』所有者初代ビーヴァーブルック男爵マックス・エイトケンとともに帝国内自由貿易と称した保護貿易論を唱え、統一帝国党を名乗ってその運動を主導した[11]。 またヒトラーやムッソリーニの熱心な支持者として知られ[9]、オズワルド・モズレーのイギリスファシスト連合も好意的に報道した[12]。 栄典爵位・準男爵位1910年7月14日に以下の準男爵位を新規に与えられる[3][13] 1914年1月17日に以下の爵位を新規に与えられた[3][13]
1919年5月17日に以下の爵位を新規に与えられた[3][13]。
名誉職その他家族1893年にメアリー・シェアと結婚し、彼女との間に以下の3子を儲ける[3]。
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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