ハニーカムズ
ザ・ハニーカムズ(英語: The Honeycombs)は、イギリスのロックバンドである。ジョー・ミークのプロデュースの下、1964年に「ハヴ・アイ・ザ・ライト」がミリオンセラーを記録し[2]、1965年に来日し、ライヴを行っている。バンドの中心的メンバーは、紅一点でドラムス、ボーカル担当のハニー・ラントリーである。 オリジナル・メンバー
来歴デビュー前前身は、マレイがリーダーを務めていたザ・シェラトンズというバンド。ドラム担当のメンバーが脱退し、アンがドラムを担当する。シェラトンズのメンバー入れ替えにより、後のハニーカムズのオリジナル・メンバーの顔ぶれが揃う。 バンドはロンドンで活動を続け、既にイギリスのチャートトップ曲2曲をプロデュースしたジョー・ミークと出会う。 ミルドメイ・タバーンというロンドンのパブで後にハニーカムズに多数の曲を提供する作曲家デュオのケン・ハワードとアラン・ブレイクリーと出会い、ハニーカムズとコンビを組む。 そして、自宅にスタジオを構えていたミークの自宅でオーディションを行う。オーディションでバンドが演奏した曲は、後にチャートの首位を記録することになる「ハヴ・アイ・ザ・ライト」であった。 ハヴ・アイ・ザ・ライトのヒット1964年、ハニーカムズはパイ・レコードからシングル「ハヴ・アイ・ザ・ライト」でデビューを飾る。前述した通り、この曲は同年7月にチャートの首位を記録する。 またこの曲はイギリス以外の国でもヒットする。カナダとオーストラリアでは1位、オランダで2位、アメリカで5位を記録するバンドの世界的なヒットとなった。更に、この曲はミリオンセラーを記録する。後にバンドはドイツ語バージョンの「ハヴ・アイ・ザ・ライト」を録音し、ドイツで21位を記録。 続く「イズ・イット・ビコーズ」、「アイズ」は好セールスには達しなかった。4枚目の、同じパイ・レコードに所属していたキンクスのレイ・デイヴィス作の「サムシング・ベター・ビギニング」は39位を記録。 デビュー曲の「ハヴ・アイ・ザ・ライト」が世界中で大ヒットしたことを受け、ハニーカムズは世界ツアーを敢行した。オーストラリアや極東でライヴを行った。更に日本でもライヴを行う。この模様は後に日本のみアルバム発売されている。イギリスに戻り、その日本での思い出を歌った「ラヴ・イン・トーキョー」という曲を録音している。 解散人気グループになったハニーカムズだが、デルとハニーがボーカルを担当した「ザッツ・ザ・ウェイ」がイギリスで12位を記録して以後、シングルはチャートインしていない。 そしてデル、パイ、ワードの3 人が一気に脱退し、コリン・ボイド、ロッド・バドラー、エディ・スペンスの3人が加入する。ボイド作のラスト・シングル「ザット・ラヴィング・フィーリング」を1966年に発売。 1967年2月3日、プロデューサーだったミークの猟銃自殺により、ハニーカムズは新曲のレコーディングを止め、解散に至る。 再結成した二つのハニーカムズ1990年代に、ハニーカムズは再結成を果たす。 しかし、それは元リーダーのマーティン・マレイが主要メンバーのハニーカムズと、デニス・デルとピーター・パイ、ジョンとハニーのラントリー兄妹がメンバーのハニーカムズであり、結果として二つのバンドが出来てしまった。 まず前者の方は、イタリアの起業家がマレイにハニーカムズを復活させてほしいとしていた。マレイは他のメンバーと相談したが、結局全員に断られ、新たにメンバーを募集して活動を始める。2010年代に入っても活動を続けている。 一方後者の方は、残りのメンバーが集まって、新たにポール・マッカートニー率いるウイングスの「007 死ぬのは奴らだ (曲)」を録音。1994年にはデビュー30周年を記念してコンサートを行っている。 ディスコグラフィシングル全てパイ・レコードから発売。
アルバム
脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |
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