ハッピータイガー『ハッピータイガー』は、モデルグラフィックス誌上で連載された小林源文の架空戦記漫画作品。梅本弘による小説版、およびその続編もある。 ストーリー1939年(昭和14年)、大日本帝国陸軍将校を父に持つ主人公の川島正徳少尉はノモンハン事件にて対戦車砲部隊を指揮していたが、戦力で圧倒的なソ連軍の前に部隊は全滅、行き倒れていた所をモンゴルの遊牧民の一家に救われる。 バートルと名づけられた彼はしばらくモンゴル人として遊牧民一家と共に生活するが、独ソ戦が勃発。バートルはソ連軍の強制徴兵に対して遊牧民一家の身代わりとして志願して、かつて敵側であったソ連兵としてソ連に侵攻していたドイツ軍と戦うことになる。 1941年(昭和16年)末、モスクワ攻防戦にてモンゴル兵たちは無謀な突撃を強制された末にドイツ軍の捕虜となってしまう。強制労働に就かされていた1943年(昭和18年)、アインザッツグルッペに射殺されかけたバートルこと正徳は偶然武装親衛隊に助けられ、今度はドイツ兵としてソ連軍と戦うことになるのであった。 整備班で働いていたバートルは、命の恩人であるゾーレッツSS軍曹の駆るティーガー(タイガー)戦車の装填手となり、さらに対戦車砲部隊の経験を活かして砲手として活躍する。砲塔に逆さの「福」の字を描いた「ハッピータイガー」の武勲はたちまち知れ渡り、バートルは東部戦線を訪問した大島浩駐独大使との面会の場で、父であり帝国陸軍将校でもあるドイツ駐在武官・川島中佐との再会を果たす。川島中佐は戦死したと思っていたバートルこと正徳に、みずからの軍刀を託す。 バートルは戦友ゾーレッツと共に東部戦線にてハリコフ攻防戦、クルスク攻防戦、ドニエプル川の戦いなどに参加、その後二人は西部戦線に転属され、1944年(昭和19年)にはノルマンディー上陸作戦におけるカーン攻防戦やファレーズ包囲戦など東西両戦線の熾烈な戦場を愛車ティーガーと共に戦い抜いていく。 1945年(昭和20年)、ドイツの敗色が濃くなる中、ティーガー戦車以下ドイツの先進兵器を日本へ導入する計画が持ち上がる。父と大島大使の計らいでゾーレッツと共に技術指導員に選ばれたバートルは、ティーガー戦車などを搭載したUボートで故郷日本を目指すが、途上でドイツは降伏してしまう。 Uボート艦長はティーガー戦車などの貨物が連合軍に接収されることを避けるため、立ち寄り先のビルマ(現ミャンマー)に陸揚げする。Uボートを降りたバートルは父と現地の日本兵ら、そして何より戦友ゾーレッツと共に連合軍を相手に最後の戦いに挑む事になる。 なお漫画版ではビルマで話が終わっているが、小説版の続編『逆襲の虎』ではさらにサイパン島へ奇襲上陸している。 また、主人公の川島とゾーレッツは戦後にカレーショップ「ハッピータイガー」を開いており、物語はその店内にて作者の小林がアシスタント達に語る体裁になっている。 登場人物枢軸国(ナチス・ドイツ、大日本帝国)側
ソビエト連邦およびモンゴル側
その他
題材![]() ![]() この物語のモチーフとなったのは、クルスク戦前後に武装親衛隊の第2SS装甲擲弾兵師団「ダス・ライヒ」に所属した1両のティーガーI型である。この車両には、実際に車体に逆さの「福」の字が書き込まれ(あるいは「福」の字を書いた紙が貼られ)ている。古い資料ではこれを剣を掲げた半身像と見立てているものもあるが、鮮明な写真では明らかに「福」の字であることが見て取れる。プラモデルのデカールに取り上げられたこともある。この車両については、本作と同時期に『タミヤニュース』で連載されていた菊地晟「福の字が画かれたタイガー」に詳しく検証されており、本作の原作者である梅本弘も参考にしている[1]。 逆さの「福」は倒福と呼ばれる中国の招福の印で、日本の中華街でもよく見掛けることができる。ティーガーの倒福は、中国(中華民国)に何らかの関係を持つ乗員によるパーソナル・マーキングであったと考えられる(戦間期におけるドイツと中国の関係については中独合作も参照のこと)。 また登場人物について梅本ならびに小林は、
などの実話を、フィクションでつなぎ合わせたとしている[2]。小林の公式サイトでは、本作は実在の人物(満州の関東軍から大陸横断してドイツ東部軍に加わった)の実話をベースとしたと説明している[3]。 単行本
関連項目
脚注
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