ハイパーネオジオ64
ハイパーネオジオ64(ハイパーネオジオロクヨン、HYPER NEOGEO 64)は、エス・エヌ・ケイ がMVS(NEOGEO)の後継機として開発した、3DCGの表示が可能なアーケードゲーム基板およびそれらのシステムである。 概要『バーチャファイター』シリーズ(セガ)や『鉄拳』シリーズ(ナムコ)の登場により、対戦型格闘ゲームの分野にも3Dの可能性が示され、当時2D対戦型格闘ゲームの人気をカプコンと二分していたエス・エヌ・ケイ(当時)も3Dを表現できるシステムの開発が急務となる。 ハイパーネオジオ64は、本来はネオジオ[注 2]の後継機種として、より高品質な2Dゲームを開発するために開発された。しかし、ネオジオでは不可能だった3Dゲームも作れる性能だったためにエス・エヌ・ケイ上層部が3D分野に色気を出してしまい、開発された作品は3D表示の物ばかりとなってしまった。このように元々3D表示への対応を考慮して開発されたハードウェアではなかったため[注 3]、キャラクターを構成しているポリゴンが当時のレベルで見ても荒く、さらにゲーム全体の処理も重いものが多かった。 非常に重大な欠点だが、互換性維持の観点から最後まで改良することはできず、セガやナムコが採用するゲーム基板およびそれらシステムには及ばなかった。発売タイトルはマニア人気はあったものの、どれもヒットには結びつかず、次第に消えていった。結局のところ、1999年発売の『武力 〜BURIKI ONE〜』をもってタイトル開発と発売を終了しており、前代のネオジオより先に終焉を迎えることになる。前代のネオジオは2001年のエス・エヌ・ケイ(旧社)倒産までタイトル開発と発売が行われ、プレイモア(後のSNKプレイモア、現在のSNK〈新社、2代目〉)にエス・エヌ・ケイ(旧社)の全版権が譲渡・受け継ぎされた後もしばらくの間は主力ハードとして使用され、最終的に2004年までタイトル開発と発売が行われた。 当時販売していた携帯ゲーム機ネオジオポケットリリース面での失敗、当時江坂(大阪府吹田市)に存在していた「ネオジオランド」とフジサンケイグループの協力で東京にオープンした「ネオジオワールド東京ベイサイド」の相次ぐ遊園地事業失敗と並び、エス・エヌ・ケイ(旧社)倒産の要因となった(ネオジオワールド東京ベイサイド跡地は後に山崎屋に売却され東京レジャーランドパレットタウン店と改名し2017年まで営業していた)。 専用筐体を用いた作品を除き、基板と汎用筐体との抱き合わせ販売もあったようで、そのうちの一つのバリエーションであった、対戦用汎用筐体には、画面上部に小さな液晶画面とカメラがついていて、対面のプレイヤーを常時モニターできるというものがあったが実際に使っている店は少なかった、ハイパーネオジオ64自体が生産終了になりゲームが発売されなくても、筐体のみ他社のゲームが入った状態で稼動していた例もあった。 発売されたタイトルカッコ内は、開発元、ジャンル、発売日の順に記載。なお、発売元は全てエス・エヌ・ケイである。
脚注注釈出典参考文献
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