ノーム・ニクソン
ノーマン・エラード・ニクソン (Norman Ellard Nixon, 1955年10月11日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長188cm、体重77kg。ポジションはポイントガード。ロサンゼルス・レイカーズで2度のNBA制覇を果たした。 経歴ニクソンはジョージア州メイコンで生れ、高校時代にはバスケットボールとフットボールで活躍した。進学したデュケイン大学では4年間で平均17.4得点をあげ、最終学年時にはカンファレンス年間最優秀選手に選ばれた。2001年にニクソンの背番号『10』が大学の永久欠番に指定されている。 1977年、ニクソンはNBAドラフト全体22位でロサンゼルス・レイカーズに入団した。1年目は平均13.7得点6.8アシスト(リーグ4位)の成績でオールルーキー1stチームに選ばれた。翌1978-79シーズンはアシストとスティールでリーグトップ3に入る活躍を見せ、カリーム・アブドゥル=ジャバーとともにレイカーズを牽引した。 3年目の1979-80シーズン、ニクソンは自己最高の平均17.6得点に加え、出場時間でリーグ1位の平均39.3分を記録した。この年大物新人のマジック・ジョンソンを獲得したレイカーズはファイナルに進出し、フィラデルフィア・76ersを破って8年ぶりのリーグチャンピオンに輝いた。ニクソンはポジションが被るマジックと衝突することもあったが、最終的に共存に成功したことが優勝へと繋がった。 1981-82シーズン、ニクソンは平均17.6得点8.0アシストの成績で自身初のオールスター出場を果たした。レイカーズはファイナルまで勝ち上がり、76ersを下して2年ぶりのリーグ制覇を成し遂げた。ニクソンはプレーオフでチームトップの平均20.4得点と大活躍した。翌1982-83シーズンもファイナル進出を果たしたが、76ersにストレートで敗退した。シーズン終了後、ニクソンはサンディエゴ・クリッパーズにトレードされた。 ニクソンはクリッパーズでもチームの司令塔として活躍し、移籍1年目の1983-84シーズンにキャリアハイの平均11.1アシストを記録した。翌1984-85シーズンには自身2度目のオールスターに選ばれている。しかしクリッパーズをプレーオフに導くことは出来なかった。 1986年、ニクソンはソフトボールの試合中に穴に足をとられて転倒し、左膝近くの腱を負傷したため翌シーズンを全休した。さらに1987年のプレシーズンで右アキレス腱を断裂し、もう1年を棒に振った。1988-89シーズンに復帰して53試合に出場したが平均6.8得点6.0アシストの成績に留まった。シーズン終了後イタリアのプロリーグに移籍し、1989年限りで現役を引退した。NBAでの成績は、768試合の出場で通算12,065得点6,386アシスト(平均15.7得点8.3アシスト)であった。通算6,386アシストはリーグ史上30位、平均8.3アシストは同11位の記録である。 引退後はスポーツエージェントやコメンテーターとして活動している。 人物・エピソード
個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
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