ノート:後三年の役記事について疑問点4件「国庫からの恩賞支弁を拒否」とありますが、恩賞は通常「官位」「官職」特に京近くの大国・熟国の受領などで、「物」ではないと思いますが如何でしょうか。 次ぎに、「10年後の承徳2年(1098年)の従四位下昇進に伴う免除によって解由が下される」とありますが、そのときになったのは「正四位下」だったと思います。 もうひとつ、「解由が下される」つまり「受領功過定」を通らなければ昇進も次の官職もないというのが当時の法制度だったと思いますが、セットで考えるにしても記述としては順序をつけた方がよいのではないでしょうか。 また、これを「免除」されたとすれば、「中右記」1098年(承徳2)正月23日条の「今日左府候官奏給云々、是前陸奥守義家朝臣依済舊國公事、除目以前被忩行也、件事依有院御気色也 、左大史廣親候奏」だと思いますが、元木泰雄氏は『王朝の変容と武者』p431(精文堂 2005年)でこれを「ようやく官物を完済」と解釈されています。この「官奏」を「免除」ととられた理由はどういったことなのでしょうか。私自身はその解釈に迷っているところなので、御教示頂ければ幸いです。(--KTMCHI 2007年11月14日 (水) 13:29 (UTC)
合戦名は「後三年の役」か「後三年合戦」か。すでに「後三年合戦(ごさんねんかっせん)ともいう。」とありますので、大きな問題ではありません。ただ、どちらをメインの合戦名称にするか、ということです。 このことを疑問に思いましたのが、秋田県横手市の「後三年の役資料館」が、最近(具体的にいつかも不明)「後三年合戦資料館」に名称変更されていることに気づいたからです。 そこで、国会図書館のサイトで調べましたら、最近この関係で出版された本は、すべて「後三年合戦」のようです。 ウィクショナリーで「役」を調べましたら、中央政府が武器を持って辺境に遠征して反乱軍を鎮圧するイメージがあるみたいで、そんなふうに合戦を一面的に規定する「役」は学術上、好ましくないと考えられて、学者さんの間で「後三年合戦」に変えられてのでしょうか。 これを変更することになると、「前九年の役」も「前九年合戦」に変えることになりますね。そういえば、こちらも、国会図書館のサーチで、「前九年の役」などと称する出版物は古いものばかりで、最近のは「前九年合戦」ですね。 専門の歴史学者の方々に編集していただいたほうがよいと思いまして、ここでは問題提起だけしておきます。問題提起だけで申し訳ありません。自分では、調べるすべがないのです。 --以上は2020年6月13日 (土) 12:34 Hana87hana(会話・投稿記録) さんの投稿
改名提案:「後三年合戦」1か月以上の議論停止により2023年4月の改名提案は失効となりました(差分/96286082)。
議論が始まってからだいぶ時が経っていますが、「後三年合戦」への改名提案を出します。かつて「後三年の役」という表記が用いられていたということは事実ですが、今日では「後三年合戦」の表記がメインに用いられるようになっため、そちらを優先して表記すべきだという考えです。(上記の会話も参照)--Rarisan(会話) 2023年4月25日 (火) 10:50 (UTC)
自動失効 議論停止から1か月以上経過したたため自動失効。必要なら再度改名提案をしてください。--2001:268:C208:3056:C1B0:3347:CB26:D31D 2023年8月5日 (土) 14:51 (UTC) |
Portal di Ensiklopedia Dunia