ノート:広島弁「広島弁を話す著名人」の項目に挙がっている人たちは広島県出身ですから広島弁を日常的に使うのは自然です。例えば元RCCのアナウンサーの煙石博さんのように放送でも積極的に広島弁を使い,広島方言に関する講演の講師などをするような人に限定した方がよいのではないでしょうか。--yuchy 2008年1月17日 (木) 07:56 (UTC) (追加提案)ということで、この項目を全面的に削除するか、あるいは活動の拠点を広島から他の県に移してもなお,生活レベルではなく、職業上のレベルで広島弁を話している著名人に絞るという編集を提案します。--yuchy 2008年2月1日 (金) 08:33 (UTC)
「質屋」の看板に「ひちや」とフリガナが振ってあるのは、40年近く前の「中国新聞・呉版」の呉地方の方言を毎日載せてあった欄に書かれてあったもので、私も実際に見たことがあります。今はそのようなことはないかもしれませんが…。「七輪」を「ひちりん」と発音することは私の両親がしていました。ただし、私も幼かったので、「し」を「ひ」と聞き間違えていた可能性はあります。--利用者:のびいる 2010年6月26日(土)13:40 (UTC) もし出典となる新聞記事が特定できるのであれば、とても有益な情報だと思います(図書館には古い新聞の縮刷版もあります)。ただ、どの記事か明記できないままではWikipediaの記述としては望ましくないと思われます。検証可能性参照。また、のびいるさんのご両親の事例はきっと真実だろうと思いますが、検証可能性にもある通り、世界中のWikipedia閲覧者が誰でもいつでものびいるさんのご両親に連絡できるわけではない以上、検証可能性は満たせていません。詳しくはWikipedia:信頼できる情報源をご覧ください。 ちなみに私の幼い頃の広島市でも「し」を「ひ」と発音する事例はたくさんありましたが、この現象は江戸言葉(東京弁)などでもよくみられるようです。より一層の記事の充実が必要そうですね。--Happymedia 2010年6月26日 (土) 22:34 (UTC) 上記の『40年近く前の「中国新聞・呉版」』(正しくは31年前の1979年でした。)の切り抜きを今年の盆に帰省した際に持って帰ってきました。質屋を「ひちや」と発音し、看板にも「ひちや」と仮名が振ってあるとの記事は1979年2月12日のものです。この切り抜きを見ていくらか追加しました。まだ、追加すると思います。--利用者:のびいる2010年8月16日(月)10:55 (UTC)
広島弁という呼称は、元々は城下町広島で使用される言葉遣いを指していたと考えられる(まだ広島県がなかった時代、より広域的な方言を指すなら、「安芸弁」と呼ばれていたと思われる)。 広島弁は、大きく分けて城下町広島の言葉、瀬戸内海に面した安芸国南部(芸南)の言葉、内陸部の安芸国北部(芸北)の言葉に分類される。それぞれの差異はあまり大きくないが、例えば呉(芸南)の言葉に広島湾対岸の山口県東部の語彙が見られたり、芸北の言葉に江の川水系を介したと思われる石見地方の影響が見られたりするなどの特色がある。また、西に行くほど山口弁の影響がみられ、瀬戸内海の島嶼部では伊予弁(愛媛弁)の影響がみられる。 広島弁母語話者が広島弁だと気付かずに標準語だと思って使ってしまう言葉には、「おさめる」(しまう)、「空気つぎ」(空気入れ)、「すいばり」([木片の]ささくれ、とげ)などがある。 特徴一人称「わし」・二人称「われ」、また語尾の「じゃ」(だ)、「じゃけえ/じゃけん」(だから)、「のう/のお」(ねえ、なあ)等は特徴的で、他地域出身者にもよく知られている。元来は瀬戸内の風土を反映した長閑な方言であるが、第二次世界大戦後に都市部で混乱期を経験したこともあり、脅しを効かせて凄むような用法のイメージが強く浸透した。これは暴力団の抗争がマスコミ報道で大きく取り上げられたこと、また「仁義なき戦い」をはじめとする任侠映画が全国的にヒットしたことが大きい。 地域の特色
※以下は備後弁についての特徴。詳しくは備後弁の頁を参照。
--Henlly2010年4月17日 (土) 07:37 (UTC) 大量削除概説項を含め5,000byteを超す大量削除を行うには根拠があいまいです。ノート:日本語の方言での議論をふまえた上で、一度取り消させていただきました。 Wikipedia:検証可能性には、決して「出典のない記述は除去されても文句は言えない」とは書いてありません。出典を明記するよう強く求められているというのが正確です。Wikipedia:出典を明記するに示されているように、Template:出典の明記テンプレートを付したり、要出典部分を特定するためにTemplate:要出典テンプレートを付したりすることで正確な記述を促すことも推奨されています。どの部分に出典が必要か明示化すれば、それに沿った加筆のしようもあると思いますが、これでは単なる荒らし行為と見分けがつきません(もちろん、この部分のあちこちに、執筆者の主観にすぎない記述があることは確かです。明らかな部分については削除しても差し支えないと考えます)。 --Happymedia 2010年4月17日 (土) 08:42 (UTC)
「山口弁」や「近江弁」については、最後に参考文献が示されていますし、特に「近江弁」はかなりの量の文献が挙げられていますので、私としては独自研究はないと信じていたのですが。「概要」節に書いてあるような特徴であっても、文献を調べればいろいろと書いてある場合があります。Happymediaさんが引用された私の発言は、「出典なしに書かれた「特徴」などと題された記述は、最も執筆者の主観が入りやすいだろう」という意味であり、文献・資料を参考にして書いたなら問題ありません。独自研究が入っていないかどうか、それぞれの記事のノートページで質問してみてはどうですか。特に「近江弁」は、精力的に調査・執筆をなさっている方がいますのですぐに返答が得られると思います。 私が加筆した部分は『日本のことばシリーズ』によるものです。丸写しではありません。この本は広島県全体の方言について2,30ページにわたって解説していますので、私の文章はその要約です。 周辺方言の影響について書くべきかどうかについて、辺縁部が周辺方言とある程度の共通点を持つことは、むしろ私は当然のことだと思います。しかし、それが外から影響されたものなのか、その逆なのか(例えば、呉で「ちょる」を使うのは、元々広島県全体で「ちょる」を使っていたのが今は呉に残っているだけなのではないか)を考える必要があり、そこは素人の判断ではなくしっかり調べる必要があります。「電車」の件は、JRを汽車と呼ぶのは広島に限ったことではないので、語彙の節で簡単に述べるのみでよいでしょう。あまり重要でないことを書いているような気がします。 私がノートページに移した部分について個々にコメントしておきます。まず、最初の「広島弁」という呼称についての段落ですが、これは独自研究です。他県民からすれば「広島弁」は広島県全体の方言を指しているように感じられます。記事名がこのままでいいかどうかも考える必要があります。次の、地域性と周辺方言についての段落ですが、これは上に挙げたような理由で出典が必要と思います。『日本のことばシリーズ』にも言及があったと思います。私のようなよそ者ではなく、地元の方に読んでいただいて執筆していただきたく思います。何を標準語と間違えるかも、独自研究的ですが、これも上記の文献に言及されていたような気がします。「特徴」の節も出典が必要かと思いますが、そもそも広島弁のイメージについて百科事典に書く必要があるのか、という気もします。また、備後弁についての説明は備後弁に書いたほうがいいと思います。 なお、今私は広島弁だけに限らず、全国の方言記事についてこの整理・ノートへの転記作業を行おうとしています。議論が広島弁についてだけにとどまらず、方言記事全体に関して、どこまでを本文に残すべきかという議論をするならば、ノート:日本語の方言の方に移りたいと思います。--Henlly2010年4月17日 (土) 13:49 (UTC)
概説節の該当部分を削りました。結果的には同じですが、次に加筆したり出典を付記したりする方に分かりやすくなればと思います。私は広島弁で育ちましたが、より多くの執筆者(特に地元、及び詳しい方)で着実に充実させていきたいので、大量削除に対し敏感になってしまいました。お手数をかけてすみません。--Happymedia 2010年4月17日 (土) 16:46 (UTC)
近江弁の執筆を進めている者です。「○○弁に似ている」などは主観的になりがちな内容ですが、探せば「こうこういう点が○○弁に似ている」「こうこうこうだから○○弁と共通している」などについて触れている文献もあります。地元出身・在住有名人のエッセイ(例えば「上京したら、○○という表現が不思議に思われた」などのエピソード)なんかも使えると思いますよ。また、Henllyさんは「方言のイメージ」について「百科事典に書く必要があるのか」としておられますが、「実際の方言とイメージ上の方言のギャップ」「なぜそのようなイメージを持たれるに至ったか」「地元では自分達の方言についてどう評価しているのか」などの点を深めていけば、十分意味のある内容になると思います。--Kyoww 2010年4月18日 (日) 04:36 (UTC)
Henllyさんの意見に全面的に賛同します。「エピソード・エッセイだけを載せるのは中立的ではないし雑然とした内容になってしまいます。」は正論だと思います。Wikipediaは中立的な観点に基づいた記述が要求されます。そのことを踏まえた上で最終的には意見や事実について、それを支持する者と批判する者とが共に合意できるように記述することを目指す、ということです。--123.225.9.143 2010年4月18日 (日) 07:50 (UTC) 広島弁を話すキャラクター
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