ノルディーヌ・ウバーリ
ノルディーヌ・ウバーリ(Nordine Oubaali、1986年8月4日 - )は、フランスのプロボクサー。パ=ド=カレー県ランス出身。元WBC世界バンタム級王者。 経歴アマチュア時代2007年、シカゴで開催された世界ボクシング選手権大会にライトフライ級(48kg)で出場し、準決勝で鄒市明に1-21で敗れ決勝進出を逃したが銅メダルを獲得した[1]。 2008年、北京オリンピックにライトフライ級(49kg)で出場するが、世界選手権に続いて再び鄒市明に敗れ準々決勝進出を逃した[2]。 2012年、ロンドンオリンピックにフライ級(52kg)で出場し、2回戦でルーシー・ウォーレンを19-18で破ったが[3]、続く準々決勝でマイケル・コンランに18-22で敗れた[4]。 プロ時代2014年3月20日、モロッコ、マラケシュの555 Famous Club Marrakechでデビュー戦を行った[5]。 2015年5月、エナン=ボーモンでフランスバンタム級王座を獲得した[6]。 2016年12月17日、WBAインターコンチネンタルバンタム級王座決定戦を元WBO世界フライ級王者のフリオ・セサール・ミランダと行い、12回2分46秒TKO勝ちを収め王座を獲得した[7]。 2017年6月2日、パリのパレ・デ・スポール・ポルト・ド・ヴェルサイユで元WBO世界バンタム級暫定王者のアレハンドロ・エルナンデスとWBC世界バンタム級シルバー王座決定戦を行う予定だったが、前日計量でエルナンデスに体重超過がありウバーリが勝った場合のみ王座獲得となる条件で試合は行われ、ウバーリが10回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[8]。 2017年12月16日、ブローニュ=ビヤンクールのラ・セーヌ・ミュージカルでマーク・アンソニー・ヘラルドと対戦し、7回1分15秒KO勝ちを収め初防衛に成功した[9]。 2019年1月19日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで前述のアマチュア時代に勝利している元WBA世界バンタム級スーパー王者でWBC世界バンタム級2位でルーシー・ウォーレンとWBC世界バンタム級王座決定戦を行い、12回3-0(115-113、116-112、117-111)の判定勝ちを収めて王座の獲得に成功した[10][11]。試合後ウバーリには2018年12月30日にWBC世界バンタム級暫定王者になった井上拓真との王座統一戦が義務付けられた[12]。この試合でウバーリは8万5千ドル(約940万円)、ウォーレンは12万5千ドル(約1380万円)のファイトマネーを稼いだ[13]。 2019年7月6日、カザフスタンアスタナのバリス・アリーナでWBC世界バンタム級15位で元WBOアジア太平洋バンタム級王者のアーサー・ビラヌエバと対戦し、ビラヌエバが6回終了時棄権した為TKO勝ちを収め初防衛に成功した[14][15]。 2019年11月7日、さいたまスーパーアリーナでWBC世界バンタム級暫定王者の井上拓真と王座統一戦を行い、12回3-0(120-107、117-110、115-112)で判定勝ちを収め王座統一(記録上は2度目の防衛)に成功した[16][17]。 2020年5月16日、予定されていたノニト・ドネアとの対戦が新型コロナウイルス感染拡大の影響で試合延期になった[18]。 2020年11月12日、ノニト・ドネアと12月12日に対戦することになっていたが、ウバーリが新型コロナウイルスに感染しアメリカの入国ビザを取得できなかった為に試合が中止になったことが発表された[19]。 2020年11月25日、WBCが、ウバーリを休養王者に認定したこと及び、ウバーリが新型コロナウイルスの感染から回復後に休養王者として相手を自由に選べる防衛戦を行える許可を出したことを発表した。これによりウバーリが保持していたWBC世界バンタム級王座が空位となったため、12月19日に行われるノニト・ドネア対エマヌエル・ロドリゲスの対戦がWBC世界バンタム級王座決定戦として行われることになったが[20]、その後ドネアも新型コロナウイルスに感染し、最終的にエマヌエル・ロドリゲスとレイマート・ガバリョでWBC世界バンタム級暫定王座決定戦を行った。 2021年1月10日、WBCが、ウバーリを休養王者から正規王者に復帰させた[21]。 2021年5月29日、ディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク・テニスコートにて元世界5階級制覇王者でWBC世界バンタム級1位のノニト・ドネアと対戦し、4回1分52秒KO負けを喫して3度目の防衛に失敗、王座から陥落した[22]。この試合でドネアは144,360ドル(約1570万円)、ウバーリは216,540ドル(約2360万円)のファイトマネーを稼いだ[23]。 2022年4月5日、引退を発表した[24]。 2023年4月29日、引退を撤回して約2年ぶりに試合を行い、ドゥエーでリカルド・マルティネスと8回戦で対戦したが[25]、二度のダウンを奪われ[26]、1-2の判定負けを喫した[27]。 戦績
獲得リスト
脚注
関連項目外部リンク
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