ニール・キルケニー
ニール・マーティン・キルケニー(Neil Martin Kilkenny、1985年12月19日 - )は、イングランド出身のサッカー選手。パース・グローリーFC所属。ポジションはミッドフィールダー。 U-23オーストラリア代表として北京オリンピックに出場し、オーストラリアA代表としてAFCアジアカップ2011などで7試合に出場している。 経歴グレーター・ロンドンのインフィールド・ロンドン特別区に生まれたキルケニーは、4歳の時に家族と共にオーストラリアのブリスベンへ移住し、そこで育った。しかしサッカーで優れた才能を示した彼は、11歳の時チャンスを得るために家族でイングランドへ帰国した。そしてアーセナルFCのユース育成プログラムへと招かれ、アーセナルFCの下部組織で育つこととなる。 順調に成長していったキルケニーは、イングランド代表U-18などでプレイした。しかしキルケニーは、アーセナルFCにおいては不遇の時期を過ごし、クラブを去ることを決断した。そしてアストン・ヴィラFCやマンチェスター・シティFC・レスター・シティFCなどのトライアルを受けた後、2004年1月にフリートランスファーでバーミンガム・シティFCに加入した。 クラブ略歴バーミンガム・シティキルケニーは2年半の契約にサインした。高い能力と将来性を認められたが、まだトップチームでプレイするレベルには達していないと判断され、レンタル移籍で修行を積むこととなった。そして彼はリーグ1(実質3部)のオールダム・アスレティックAFCに加入する。そこでキルケニーは2試合目で2ゴールをマークしたり、FAカップでマンチェスター・シティFC相手にフリーキックを決めるなどして、その年のクラブ最優秀若手選手に輝いた。 2005-2006年シーズン、バーミンガムへ戻ったキルケニーは、スティーブ・ブルース監督から出場機会を保証できない旨を伝えられたが、トップチームに残ることを選んだ。そしてそのシーズンは、交代出場を中心に25試合に出場したが、チームはチャンピオンシップへと降格した。翌シーズン、キルケニーは出番に恵まれず、わずか2試合に先発するにとどまった。彼は不満を募らせ、2007年7月30日に再びオールダム・アスレティックへとレンタルで移籍した。 リーズ・ユナイテッド2008年1月4日、キルケニーはレンタル移籍で今度はリーグ1のリーズ・ユナイテッドFCに加入する。とはいっても、当初より完全移籍を前提としたレンタルであった[1]。彼はここで3年半の契約にサインした。この間に北京オリンピックへのオーストラリア代表の招集に応じている。主力として活躍しているキルケニーは、2010年12月には契約を延長してリーズ・ユナイテッドFCでプレイしたいという希望を明らかにした[2]。また同じ月、AFCアジアカップ2011へのオーストラリア代表のメンバーに招集された。 ブリストル・シティ2011年7月、ブリストル・シティFCへ完全移籍した[3]。 プレストン・ノースエンド2013年11月14日、プレストン・ノースエンドFCへ1か月の期限でレンタル移籍[4]。2014年1月6日に完全移籍した[5]。 メルボルン・シティFC2016年7月19日、メルボルン・シティFCへ2年契約で移籍した[6]。 パース・グローリーFC2018年、パース・グローリーFCへ移籍した[7]。 代表略歴キルケニーはイングランド生まれ・オーストラリア育ちで、アイルランドの血もひいているため、これら3か国のいずれかのナショナルチームでプレイする資格を持っていた。ユース世代ではイングランド代表でプレイしてきたが、結局はオーストラリア代表でのプレーを選び、2006 FIFAワールドカップ前の親善試合リヒテンシュタイン代表戦で交代出場し、A代表デビューを飾った[要検証 ]。北京オリンピックアジア予選のメンバーとして予選を戦った彼は本大会のメンバーにも残った。しかし本大会は1試合の出場に留まり、チームもグループステージ敗退となった。チームに戻った後は、代表スカウトから視察を受けたりしたものの、2010 FIFAワールドカップへのメンバー入りは叶わなかった[8]。しかし2010年12月、AFCアジアカップ2011へ向けたメンバーとして、A代表に選出された。そして壮行試合のUAE戦で交代出場し初キャップを刻むと、アジアカップ本大会でも交代出場を中心に数試合に出場、決勝の日本戦にも途中出場した[9]。 個人成績
代表歴オーストラリア代表出場大会 脚注
外部リンク |