ニコラ (メルクール公)
ニコラ・ド・ロレーヌ(Nicolas de Lorraine, duc de Mercœur, 1524年10月16日 - 1577年1月23日)は、フランスのメス司教(在任:1543年 - 1548年)、ヴェルダン司教(在任:1544年 - 1547年)。後にロレーヌ公国摂政(在任:1552年 - 1559年)、ヴォーデモン伯爵(在位:1548年 - 1577年)、メルクール公爵(在位:1569年 - 1577年)。 生涯ロレーヌ公アントワーヌとその妻でブルボン公シャルル3世の妹であるルネとの間の次男として、バル=ル=デュックに生まれた。聖職者の道を歩むことを定められ、1543年にはメス司教に、翌1544年にはヴェルダン司教に就任した。 しかし1545年6月に兄のロレーヌ公フランソワ1世が若くして急死したため、ニコラは兄の未亡人クリスティーヌ・ド・ダヌマルクとともに、わずか2歳の甥シャルル3世の傅育役兼行政官として、ロレーヌ公爵領の事実上の統治者に就任した。しかし11月、ロレーヌの等族たちはニコラを排除してクリスティーヌ単独の摂政政治の体制をしいた。親ハプスブルク派であるクリスティーヌの統治に反対していたニコラは、1548年には司教位を返上して正式に還俗し、ヴォーデモン伯爵を名乗った。 1552年、フランスがトゥール、メス、ヴェルダンの3司教領(Trois-Évêchés)を支配下に収めると、ニコラは義姉クリスティーヌを追い出して甥シャルル3世の単独の摂政に就任し、シャルル3世が1559年に親政を開始するまで務めた。 1551年、メス司教領の一部だったノムニー(現在のムルト=エ=モゼル県)が切り離されてニコラに所領として与えられており、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世は1567年にニコラをノムニー侯爵に叙した。またフランスにおいても、ニコラが母親から相続したメルクール(現在のオート=ロワール県)男爵領が、1563年に公領となり、1569年にはフランス王国同輩公(Pairie de France)の公爵領に陞爵した。 子女1549年5月1日にブリュッセルにおいて、エフモント伯ヤン4世の娘マルハレータ(1517年 - 1554年)と最初の結婚をし、間に1男3女の4人の子女をもうけた。 1555年2月24日にフォンテーヌブローにおいて、ヌムール公フィリップの娘ジャンヌ・ド・サヴォワ(1532年 - 1568年)と再婚し、間に4男2女の6人の子女をもうけた。
1569年5月11日にランスにおいて、同族の従弟であるオマール公クロードの娘カトリーヌ(1550年 - 1606年)と3度目の結婚をし、間に3男2女の5人の子女をもうけた。
脚注
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