ドデカネス諸島
ドデカネス諸島(ドデカネスしょとう、ギリシア語: Δωδεκάνησα / Dodekánisa ; 英語: Dodecanese)は、エーゲ海南東部に点在するギリシア領の島々。 ドデカネスはギリシア語で「12の島」を意味するが、実際には主要12島のほか約150の小島が含まれ、そのうち26が有人島である。面積・人口とも最大の島はロドス島で、最大の都市はロドス。聖ヨハネ騎士団ゆかりのロドス島、ヒポクラテスの出生地であるコス島、使徒ヨハネが『ヨハネの黙示録』を記したとされるパトモス島など、長い歴史に彩られた多くの史跡がある。 名称「ドデカニサ」(Δωδεκάνησα / Dodekánisa)は、ギリシャ語の「12」(δώδεκα / dṓdeka)と、「島々」(νησος / nēsos)を組み合わせた地名で、「12の島」を意味する。「ドデカニソス」(Δωδεκάνησος / Dodekánisos)とも表記される。また、それらを古典ギリシア語式に転記した「ドデカネサ」「ドデカネソス」なども用いられる。 ギリシャ語以外の各言語では以下のように表記される。 日本語表記では、ドイツ語の影響を受けた「ドデカネス」が広く使われる。このほか、英語やフランス語の表記・発音に影響された「ドデカネーゼ」「ドデカニーズ」「ドデカネーズ」などが用いられることもある。 地理位置・広がり・地勢ドデカネス諸島(カステロリゾ島を除く)は、クレタ島とアナトリア半島の間のエーゲ海に位置している。ロドス島からクレタ島に続く島並みは、エーゲ海の東南の境界となっている(エーゲ海南部をクレタ海と呼ぶこともある)。 ドデカネス諸島の中心都市であるロドスの街は、州都エルムポリから南東へ約313km、クレタ島のイラクリオから北東へ約305km、首都アテネから南東へ約433kmの距離にある。 カステロリゾ島とその属島は、他の島々から多く離れており、ロドス島から東へ約125kmのレバント海上、トルコ沿岸に位置する。 トルコとの国境であることから、カリムノス島東方の小島イミア島を発端としたイミア島紛争(1996年)が発生するなどしている。 主要な島ドデカネス諸島(旧ドデカネス県)に属する主要な12島は以下の通り。 かつては、サモス島やイカリア島も含めて「南スポラデス諸島」 (Southern Sporades) と呼ばれていた。 主要な都市県域に含まれる人口1万人以上の都市は以下の通り(2001年国勢調査時点)。
歴史古来よりギリシャ圏の島々として属してきたが、ギリシャがオスマン帝国から独立した後もオスマン領であった。 1912年のイタリア・トルコ戦争により、ドデカネス諸島はイタリア王国が占領した。1923年のローザンヌ条約により、諸島は正式にイタリア領に編入され、イタリア領エーゲ海諸島となった。 第二次世界大戦中、ドデカネス諸島も戦場となった。1941年2月にはカステロリゾ島をめぐってイギリス軍が上陸・占領を図り、失敗している(アブステンション作戦)。1943年の8月から11月にかけて、諸島の攻略を図る連合軍とイタリア軍およびドイツ軍の間で戦闘が繰り広げられた(ドデカネス諸島戦役)。この戦闘ではドイツ軍が第二次世界大戦最後とされる勝利を収め、その後にドイツが降伏するまで島を占領しつづけた。 1947年、イタリアとの平和条約でギリシャ領に編入された。 行政区画県(ペリフェリアキ・エノティタ)ドデカネス諸島は、キクラデス諸島とともに、南エーゲ地方に属する。ドデカネス諸島は、以下の4つの行政区(ペリフェリアキ・エノティタ)に分けられている。 自治体(ディモス)ドデカネス諸島には以下の15の基礎自治体(ディモス)がある。
旧自治体(ディモティキ・エノティタ)2010年に行われた行政区画統廃合(カリクラティス改革)以前は、広域自治体(ノモス)としてのドデカネス県(Νομός Δωδεκανήσου)に以下の自治体が置かれていた。 下表の番号は右図と対応している。「旧自治体名」欄で※印を付したものはキノティタ、それ以外はディモス。「政庁所在地」欄で太字になっているものは、新自治体の政庁所在地となったものを示す。
郡(エパルヒア)県には以下の郡(エパルヒア)があったが、2006年以降法的な位置づけは行われていない。
交通空港文化・観光ロドスの中世都市とパトモス島の歴史地区は世界遺産に登録されている。 参考文献
外部リンク
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