トーレ・ペデルセン
トーレ・アンドレ・ペデルセン(Tore André Pedersen、1969年9月29日 - )は、ノルウェー・フレドリクスタ出身[1] の元サッカー選手。1990年代のノルウェーを代表するセンターバック[1]。 来歴兄であるロア・ペテルセンも元サッカー選手[2]。 16歳の時にセルバクTIFと契約する[2]。その若い才能を評価し1988年リールストロムSKが獲得したものの、出場機会を与えなかったため、ペテルセンは移籍を懇願した[2]。 1989年に移籍金70,000ドルでフレドリクスタFKに移籍し、ここで試合出場を重ねると、1990年、移籍金百万ドルでスウェーデンのIFKヨーテボリに移籍する[2]。1990年・1991年アルスヴェンスカン優勝、1991年スウェーデンカップ優勝に貢献し、UEFAチャンピオンズリーグ 1992-93では本大会に出場している[2]。 これが認められ、1990年9月12日UEFA欧州選手権予選対ソ連戦(モスクワ)で代表デビュー[2]。 1993年に母国のSKブランに移籍したものの海外挑戦を熱望し、同年にイングランドのオールダム・アスレティックに移籍したが、FAカップ準々決勝対ボルトン・ワンダラーズFC戦で膝の靭帯を怪我してしまう[1][3]。ノルウェー代表として1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選で全試合出場し活躍し本大会出場に貢献したものの、この怪我が原因で本大会には出場できなかった[1][3]。 1994年夏、Jリーグ2ndステージからサンフレッチェ広島に加入。スチュワート・バクスター監督はJリーグチャンピオンシップ第1戦対ヴェルディ川崎戦(広島ビッグアーチ)に出場させた。しかし、敗戦それも攻撃的MF・パベル・チェルニーを外してまでの起用であったため守備的過ぎる、とバクスターはマスコミに批判を受けた。結果2戦目はチェルニーが起用されたため、出番無し。翌1995年も引き続き在籍するが、怪我のため選手登録を抹消された。 1995年5月に代表に再招集、その後古巣ブランへ出戻る形となった[1]。ただ引き続き海外挑戦を模索していた[1]。 1997年、ボルトン・ワンダラーズFC、ブラックバーン・ローヴァーズFC、ウェストハム・ユナイテッドFCの3クラブからオファーが届き、結局ブラックバーンを選んだ。 アイントラハト・フランクフルト時代の1999年6月5日UEFA欧州選手権予選対アルバニア戦(ティラナ)で代表引退。 1999年にウィンブルドンFCに3年契約で移籍するものの[3]、怪我が直るのに1年以上を要することとなった[2]。 2001年にノルウェーに戻りいくつかのクラブでプレーした後、引退。 引退後はサッカー代理人として活躍している[2]。2008年にタリク・エルユヌシのSCヘーレンフェーン移籍[2]、2015年にマルティン・ウーデゴールのレアル・マドリード移籍に尽力した[4]。 個人成績
代表歴試合数
脚注
関連項目外部リンク
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