ペイジの次のアルバム『ペインティングス・イン・マイ・マインド』はペイジの祖母に捧げられ、アルバムに収録されたシングル「アイル・ビー・ユア・エヴリシング」は全米で首位を獲得した。これはニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのメンバーと共に作曲し、NKOTBのメンバーをフィーチャーした曲だった。その後にアルバムからは「ホエン・アイ・ドリーム・オブ・ユー」とNKOTBとのもう一つのコラボレーション曲「ターン・オン・ザ・レイディオ」が続いた。このアルバムには、ラテンのフリースタイル歌手サ・ファイアとのデュエット「Don't Give Up on Love」も収録されている。サ・ファイアとペイジが共作したこの曲は、海外でシングルとしてリリースされた。
1991年にリリースされたペイジの3枚目のアルバムのタイトルは『フロム・ザ・ハート』で、そこでの彼のボーカルは以前の作品よりも高く広い音域を示した。このアルバムではバラードはよりオーケストラ的なサウンドとなりになり、トミーは、アルバムの曲についてウィルソン・フィリップスなどに代表される当時の音楽トレンドに触発されたものであると述べた。最初のシングル「瞳をとじて (Whenever You Close Your Eyes)」で、ペイジはマイケル・ボルトンとダイアン・ウォーレンと共作した。「Under the Rainbow」と「Madly in Love」もシングルとしてリリースされた。
アジアのファンへの感謝として、ペイジは1992年にアルバム『フレンド・トゥ・リライ・オン』をリリースした。このアルバムにはサリー・イップのデュエット「I'm Always Dreaming of You」、ニック・カーショウの「Wouldn't It Be Good」のカバー、ドナ・デロリー(マドンナのバック・シンガーとして最もよく知られている)が書いた「Heaven in Your Eyes」という曲が収録されている。当時ハウスミュージックが流行していたので、アップビートな曲はそのような形式で制作された。
1993年、ペイジとラテン系のフリースタイル歌手サ・ファイアがチームを組んで、アラン・エドワーズ・ティベットとダチア・パーマーをフィーチャーした「ラ・カーサ (La Casa)」と呼ばれるハウスミュージック・グループを結成した[13][14]。ペイジとサ・ファイアは、グループのために「Show Me the Way」「Get to You」「Dance to My Music」の3曲を書き、プロデュースした。これらの曲は、サイアー/ワーナーのハウスミュージック・コンピレーション・アルバムである『New Faces』[15]に登場した。
^Hunt, Dennis. "Who Wants to Be Tied to New Kids? Not Singer/Songwriter Tommy Page", Los Angeles Times, May 20, 1990. Retrieved October 25, 2015. "A native of tiny West Caldwell, N.J., Page was working as a coat-check boy in a New York dance club when he convinced the deejay to play his demo tape, which the dancers liked."
^"James Caldwell alumni hold multi-class reunion", Lifestyles". Retrieved October 25, 2015. "Some of those in attendance were Caldwell Police Lt. Marc Driggs, Class of '86; Tommy Page, Class of '85 who is a pop star in the Music Industry with a former No. 1 hit, 'I'll be your everything,' as well as acting credits on shows including Full House;
^“Voice Theatre Acting Ensemble”. Voice Theatre. 2017年3月13日閲覧。 “"Ron Morehead... performed with Tommy Page in Joseph and the Amazing Technicolor Dream Coat."”