第2代チチェスター伯爵トマス・ペラム(英: Thomas Pelham, 2nd Earl of Chichester, PC, PC(Ire), FRS、1756年4月28日 - 1826年7月4日)は、イギリス及びアイルランドの政治家・貴族。
経歴
1756年4月28日、後にチチェスター伯爵に叙せられるトマス・ペラムとその妻アン(旧姓フランクランド)の間の長男としてロンドンのスプリング・ガーデンズ(英語版)に生まれる[2][3]。
ウェストミンスター・スクールを経てケンブリッジ大学クレア・カレッジへ進学し、1775年にマスター・オブ・アーツ(英語版)の学位を取得した[2][3]。
1780年から1801年にかけてサセックス選挙区(英語版)から選出されてイギリス議会の庶民院議員を務める。また1783年から1790年にかけてはキャリック選挙区(英語版)、1795年から1798年にかけてはクローガー選挙区(英語版)、1798年から1799年にかけてはアーマー・バラ選挙区(英語版)から選出されてアイルランド議会でも庶民院議員を務める[2][3]。
1783年にアイルランドの枢密顧問官(英語版)、1795年にイギリスの枢密顧問官に列する[2][3]。
1801年6月にはいまだ父が存命中ながら繰上勅書により第3代スタンマーのペラム男爵を継承して貴族院へ移籍した[3]。
1782年から1783年にかけては補給庁副長官(英語版)を務め、ついで1783年から1784年と1795年から1798年にかけてはアイルランド担当大臣(英語版)を務めた。1801年から1803年にかけてはヘンリー・アディントン(後のシドマス子爵)の内閣(英語版)で内務大臣、ついでランカスター公領大臣を務める[2][3]。
1805年1月8日に父の死により第2代チチェスター伯爵位を継承する。1807年から1826年までの長期にわたって郵政長官(英語版)を務めた[2][3]。
1826年7月4日にロンドンのストラトン・ストリート(英語版)で死去した[2]。
栄典
爵位・準男爵位
家族
1801年7月、第5代リーズ公爵フランシス・オズボーンの娘メアリーと結婚し、彼女との間に以下の6子を儲ける[2]。
脚注
出典
外部リンク