ヘンリー・ペラム (第3代チチェスター伯爵)第3代チチェスター伯爵ヘンリー・トマス・ペラム(英語: Henry Thomas Pelham, 3rd Earl of Chichester, DL 1804年8月25日 - 1886年3月15日)は、イギリスの貴族。父の死に伴い伯爵位を継承する1826年まではペラム卿(Lord Pelham)と称した。 略歴ロンドンのピカデリーに生まれる。父は貴族院議員の第3代スタンマーのペラム男爵トマス・ペラム(1805年に爵位を継承)、母はメアリー・ヘンリエッタ・ジュリアナ(外務大臣を務めた第5代リーズ公爵フランシス・オズボーンの長女)。ウェストミンスター校からケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進学[1]。 1824年に第6(イニスキリング)竜騎兵連隊に入隊、騎兵少尉(Cornet)に任官される。同年10月24日、王立近衛騎馬連隊に異動。1827年4月28日に中尉、1828年4月3日に大尉(無所属)、1841年少佐に進級し、1844年に退役した。 1886年、81歳でサセックス・スタンマー・パークにて死去。 その他1827年にサセックス副統監[2]、1860年からは正統監となった[3]。1841年から45年の長きにわたって英国国教会財産管理委員を務める傍ら、1849年には王立イングランド農業協会理事長となった。他にはスタンマー教会の建て替えも行っている。 家族1828年8月18日、第6代カーディガン伯爵ロバート・ブルードネルの令嬢、メアリー嬢と結婚。以下7人の子供をもうけた。
脚注・外部リンク
|