トゥッコージー
トゥッコージー(マラーティー語:तुकोजी, :Tukkoji, 1677年 - 1736年)は、南インドのタミル地方、タンジャーヴール・マラーター王国の君主(在位:1728年 - 1736年)。トゥラジャージー(Tulajaji)とも呼ばれる。 生涯1728年、兄(あるいは弟)のサラボージーが死亡したことにより、弟であるトゥッコージーその王位を継承した[1]。 トゥッコージーの治世は、パーライヤッカーラルの反乱やカルナータカ太守に脅かされていたマドゥライ・ナーヤカ朝の女王ミーナークシの援助を行った。 1734年、カルナータカ太守側のチャンダー・サーヒブがマドゥライ・ナーヤカ朝の領土に侵攻した際は、これの援助に回り撃退した。 しかし、1736年にチャンダー・サーヒブはもう一度マドゥライ・ナーヤカ朝の領土に侵攻し、その首都ティルチラーパッリは落とされ、王朝は滅ぼされてしまった。 同年、トゥッコージーはタンジャーヴール城で死亡し、息子のヴィヤンコージー2世がその王位を継承した[2]。 人物トゥッコージーは諸外国語に通じた学識のある人物だった。彼はタンジャーヴールのタミル音楽にヒンドゥスターニー音楽を導入したことが功績として挙げられ、彼自身も楽譜を書いたりする音楽家だった。 出典・脚注関連項目 |