デビッド・カーペンター (1985年生の投手)
ダレル・デビッド・カーペンター(Darrell David Carpenter, 1985年7月15日 - )は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州モーガンタウン出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はフリーエージェント (FA)。 経歴プロ入りとカージナルス傘下時代2006年のMLBドラフト12巡目(全体376位)でセントルイス・カージナルスから捕手として指名され、6月13日に契約。契約後、傘下のA-級ステート・カレッジ・スパイクスでプロデビュー。37試合に出場して打率.189、9打点、1盗塁を記録した。 2007年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・カージナルスで2試合に出場し、7月にA-級バタビア・マックドッグス[2]へ昇格。A-級バタビアでは38試合に出場して打率.221、1本塁打、8打点、1盗塁を記録した。 2008年はA級クアッドシティーズ・リバーバンディッツで8試合に出場後、A+級パームビーチ・カージナルスへ昇格。A+級パームビーチでは12試合に出場して打率.175、1本塁打、3打点を記録した。7月からルーキー級ガルフ・コーストリーグ・カージナルスでプレーし、投手へ転向。9試合に登板して0勝0敗3セーブ、防御率1.04、9奪三振を記録した。8月からはアパラチアンリーグのルーキー級ジョンソンシティ・カージナルスでプレーし、6試合の登板で防御率3.00、8奪三振を記録した。 2009年はA級クアッドシティーズでプレーし、52試合に登板して5勝3敗12セーブ、防御率4.28、77奪三振を記録した。 2010年はA+級パームビーチでプレーし、49試合に登板して5勝3敗20セーブ、防御率2.36、50奪三振を記録した。 アストロズ時代2010年8月19日にペドロ・フェリスとのトレードで、ヒューストン・アストロズへ移籍した[3]。移籍後は傘下のA+級ランカスター・ジェットホークスでプレーし、6試合に登板して1勝1敗、防御率3.52、8奪三振を記録した。オフの11月19日にアストロズとメジャー契約を結び[4]、40人枠入りした。 2011年3月14日にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ配属され[5]、開幕を迎えた。6月29日にメジャーへ昇格し[6]、翌30日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー。7点リードの8回表から登板し、1回を無安打無失点1奪三振に抑えた[7]。この年は34試合に登板して1勝3敗1セーブ、防御率2.93、29奪三振を記録した。 2012年2月23日にアストロズと1年契約に合意。開幕後はリリーフとして定着していたが、5月に入ると失点が目立ち、5月15日にAAA級オクラホマシティへ降格した[8]。5月28日に不調のエネリオ・デルロサリオに代わってメジャーへ再昇格した[9]。昇格後は16試合に登板したが、防御率8.36と結果を残せず、7月9日にAAA級オクラホマシティへ降格した[10]。アストロズでは30試合に登板して0勝2敗、防御率6.07、27奪三振を記録した。 ブルージェイズ時代2012年7月20日にジョー・マスグローブ、カルロス・ペレス、デビッド・ロリンズ、アッシャー・ウォジェハウスキー、フランシスコ・コルデロ、ベン・フランシスコ、後日発表選手[11]とのトレードで、J.A.ハップ、ブランドン・ライオンと共にトロント・ブルージェイズへ移籍した[12]。移籍後はAAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーしていたが、8月10日にブレット・ロウリーが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[13]。この年はブルージェイズが起用した32人目の投手(当時球団記録)となったが、8月11日にAAA級ラスベガスへ降格した。9月7日に再びメジャーへ昇格[14]。この年ブルージェイズでは3試合に登板して防御率30.38・4奪三振の成績を残した。オフの10月21日にマイク・アビレスとのトレードでボストン・レッドソックスへ移籍[15]。アビレスは当時ブルージェイズ監督のジョン・ファレルとのトレードという形だったが、実際に選手と監督をトレードすることができないため、代わりにカーペンターがトレード相手となった。11月20日にDFAとなり[16]、11月26日にレッドソックスとマイナー契約を結んだ。 ブレーブス時代2012年11月30日にウェイバー公示を経てアトランタ・ブレーブスへ移籍した[17]。 2013年3月26日にAAA級グウィネット・ブレーブスへ配属され、開幕を迎えた。4月20日にブレイク・デウィットが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格した[18]が、登板機会のないまま、22日に降格。4月30日にルイス・アヤラが故障者リスト入りしたため、再昇格した[19]。昇格後はリリーフとしてメジャーに定着し、56試合に登板して4勝1敗、防御率1.78、74奪三振を記録した。 2014年2月25日にブレーブスと1年契約に合意した[20]。この年は65試合に登板して6勝4敗3セーブ、防御率3.54、67奪三振を記録した。 ヤンキース時代2015年1月1日にマニー・バニュエロスとのトレードで、チェイスン・シュリーブと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[21]。6月3日にDFAとなった[22]。ヤンキースでは22試合に登板し、0勝1敗、防御率4.82、WHIP1.45という成績を記録していた。また、通算200試合登板も達成した。 ナショナルズ時代2015年6月11日にトニー・レンダとのトレードで、ワシントン・ナショナルズへ移籍した[23]。ナショナルズ加入後は8試合にしか投げなかったが、防御率1.50、WHIP1.17を記録して投球内容は上向いた。シーズン全体では30試合に投げ、防御率4.01、9四球、15奪三振、WHIP1.38という成績を残した。オフの11月18日に40人枠から外れる形で傘下のAAA級シラキュース・チーフスに降格となり、同日FAとなった[24]。 ナショナルズ退団後2015年11月24日にブレーブスとマイナー契約を結んだ[25]。 2016年、スプリングトレーニングでは3月4日の試合で1イニングを無失点で抑えたが、翌5日に自由契約となった[26]。11日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだが[27]、30日に自由契約となる。4月7日に独立リーグであるアトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約。5月10日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結ぶが、6月23日に自由契約となり、7月1日にブルーフィッシュと再契約した。 2017年2月1日に再びレイズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[28]が、4月4日に自由契約となった。その後、4月6日に前年所属したブルーフィッシュと契約した[29]。 2017年7月21日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、傘下のAA級ジャクソン・ジェネラルズに配属された[30]。2018年3月17日に自由契約となった[31]。2018年はどの球団にも所属しなかった。 2019年2月4日にレンジャーズとマイナー契約を結んだ[32]。開幕は傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズで迎え、5月31日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[33]。6月8日にDFAとなり[34]、11日にマイナー契約でAAA級ナッシュビルへ配属された。8月13日に再びメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[35]。8月19日に再びDFAとなり[36]、21日にマイナー契約でAAA級ナッシュビルへ配属された[30]。9月30日にFAとなった[30]。 2019年12月16日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結び、2020年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[30]。2020年はマイナーリーグが開催されず、またメジャー昇格もなかったため、9月26日に公式戦での登板なくレッズをリリースされた。 2021年4月9日、マイナーリーグの薬物予防および治療の規定に違反したとして、1年間の出場停止処分を受けた[37]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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