デイヴ・マシューズ (英 : Dave Matthews 、1967年 1月9日 [ 1] - )は、南アフリカ共和国 生まれのアメリカ 人ミュージシャン 。ロックバンド 、デイヴ・マシューズ・バンド のリード・ボーカル、ソングライター。
若年期からデビュー直後
デイヴ・マシューズこと本名デヴィッド・ジョン・マシューズは、南アフリカ共和国 のヨハネスブルグ で4人兄弟の3番目の子として生まれた。2歳の時、マシューズ一家は父親の仕事の関係でアメリカ合衆国 ニューヨーク州 のヨークタウン へ引っ越した[ 2] 。
1974年、一家はイギリス のケンブリッジ に移った後で、1年後にニューヨークへ戻り、1977年にマシューズの父が肺がん で没した。この父の死が、マシューズの「その日を摘め 」的な歌詞に影響をもたらしたと、伝記作者の Nevin Martell が主張している[ 3] 。ニューヨークに住んでいるとき、マシューズは母に連れられて初めてピート・シーガー のコンサートを観た[ 4] 。そして一家は、1977年にヨハネスブルグへ再度戻った[ 5] 。
マシューズが高校を卒業した頃は、南アフリカでは市民的不服従 が巻き起こっていて、その頃にマシューズは南アフリカ軍 からの徴兵 を受けた[ 6] が、平和主義 的なクエーカー であるマシューズは、徴兵を避けるために南アフリカを出た[ 7] 。
1986年にニューヨークに移り、IBM で短期間働いた[ 5] 後、マシューズ一家がデイヴが生まれる前にかつて暮らしていたバージニア州 シャーロッツビル で、母と共に暮らした[ 5] 。そして、マシューズはシャーロッツビルのローカルの音楽コミュニティの一員になった[ 7] 。ローカル・スターのティム・レイノルズ に時々ステージへ呼ばれて演奏に加わったり、他の友人であるロス・ホフマンからレコードを録音するよう説得された[ 5] [ 8] 。初めてのプロしてのギグはシャーロッツビルのモダンダンス 大会で行い、トランペット奏者のジョン・ダース らが作曲した「Meaningful Love」を歌った[ 9] 。1991年に、マシューズは自分のバンドを結成することを思いついた[ 5] 。
マシューズは、リロイ・ムーア 、カーター・ビューフォード 、ステファン・レザード 、ピーター・グラソー(1993年脱退)、ボイド・ティンズレー と、デイヴ・マシューズ・バンド を結成した。このバンドが行った最初のショーは、1991年3月14日にシャーロッツビルのナイトクラブで行われた中東の子供たちのためのチャリティ・ショーだった[ 10] 。
1994年、南アフリカに住んでいたマシューズの姉が夫に殺害される事件が起こった[ 11] 。この事件は、マシューズの生命に対する考え方に影響を及ぼし、「Shutgun」などの彼の一部の曲でそれを確認できる[ 12] 。1994年1月29日、マシューズはティム・レイノルズ と、ニューヨークで姉との思い出をテーマに演奏をした。翌年に発表されたデイヴ・マシューズ・バンドのアルバム『Under the Table and Dreaming』は、姉に捧げられている[ 11] 。姉の遺児2人は、アメリカへ旅立ち、デイヴとその妹が躾などの面倒を責任をもってみた[ 11] 。
音楽
デイヴ・マシューズとティム・レイノルズ (2007年)
マシューズは、デイヴ・マシューズ・バンド の仕事に1990年から2003年まで専念していた。2003年、ブルーマン・グループ のアルバム『The Complex』にて「Sing Along」という曲でマシューズはバンドから離れてソロで歌った[ 13] 。その年の後半、ソロアルバム『Some Devil』を発表し、ゴールドディスク を獲得し、シングル「Gravedigger」は2004年のグラミー賞 を獲得した[ 14] 。アルバムをサポートするため、マシューズは『Some Devil』の録音に参加したミュージシャン達と、デイヴ・マシューズ & フレンズ名義でツアーを行った[ 15] 。
マシューズはベラ・フレック・アンド・フレックトーンズ の1998年のアルバム『Left of Cool』にゲスト参加し、その返礼でベラ・フレック・アンド・フレックトーンズのベーシストのヴィクター・ウッテン がデイヴ・マシューズ・バンドのライヴやスタジオ録音に多く参加している。マシューズは、エミルー・ハリス の2000年のアルバム『Red Dirt Girl』の楽曲「My Antonia」でハリスとデュエットしている[ 16] 。
俳優
マシューズはアマチュア俳優として、1990年代前半にシャーロッツビルのいくつかの演劇に出演している。2003年に児童小説『Where the Red Fern Grows』でウィル・コールマンを演じると[ 17] 、2005年には映画『きいてほしいの、あたしのこと -ウィン・ディキシーのいた夏 』にペットショップで働くギター弾きを演じ、2007年には映画『チャックとラリー おかしな偽装結婚!? 』で同性愛者 のセールスマンを演じた[ 18] 。2008年にはアダム・サンドラー の映画『エージェント・ゾーハン 』で、ジェームズという名の人種差別主義者を演じた[ 19] 。さらにシシー・スペイセク 主演の映画『レイク・シティ 』で、重要な役割を演じた[ 20] 。2011年にはジョヴァンニ・リビシ とジェイソン・リー と共演した『The Other Side』、デブラ・ウィンガー とテレンス・ハワード 主演の『In The Woods』、アダム・サンドラーのコメディ『ウソツキは結婚のはじまり 』と、3本の映画に出演した。
政治的活動
2000年アメリカ合衆国大統領選挙 の前にインターネット・ビデオを発表し、どんな候補に対しても主張せず投票するように訴えた。候補者の中ではラルフ・ネーダー についてのみ名前を出した。マシューズの音楽は、政治などの社会問題をしばしば語るが、2004年まで大統領候補のためのキャンペーンは差し控えた。その後、民主党 の候補者ジョン・ケリー に対して支持するよう強く訴えた。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙 では、バラク・オバマ を支持した[ 21] 。2008年4月6日、マシューズはティム・レイノルズとインディアナ大学 で、オバマに投票を促すためのコンサートを開催した[ 22] 。
ディスコグラフィ
デイヴ・マシューズ(2009年)
以下は、ソロのディスコグラフィのみ。
スタジオ・アルバム
Some Devil(2003年)
Imagine We Were(2005年) – オリジナルの音源は1989年
ライヴ・アルバム
Live at Luther College(1999年) – with Tim Reynolds
Live at Radio City(2007年) – with Tim Reynolds
Live in Las Vegas(2010年) – with Tim Reynolds
シングル
年
シングル
順位
アルバム
US Mod
US Adult
US Pop
2003
"Gravedigger"
35
35
—
Some Devil
"Save Me"
—
26
—
2004
"Oh"
—
—
—
2007
"Eh Hee"
—
—
73
Live at Radio City
"—" チャートに入らなかったことを示す
他のチャートの曲
ゲスト・シングル
年
シングル
アーティスト
順位
アルバム
US Country
US
CAN
2009
"I'm Alive"A
ケニー・チェズニー
6
32
73
Greatest Hits II
A "I'm Alive" は2009年のシングルとして発売される前に2008年のアルバムからのカットとしてチャートに入った。
受賞歴
グラミー賞
1997年 : 最優秀ロック・パフォーマンス・デュオ/グループ – "So Much to Say", デイヴ・マシューズ・バンド
2004年 : 最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞 – "Gravedigger", デイヴ・マシューズ
脚注
^ http://www.vh1.com/shows/dyn/driven/74427/episode_about.jhtml
^ Nevin Martell, The Dave Matthews Band: Music for the People (New York: Simon and Schuster, 2004), 3–4
^ Nevin Martell, The Dave Matthews Band: Music for the People (New York: Simon and Schuster, 2004), 5
^ http://content.usatoday.net/dist/custom/gci/InsidePage.aspx?cId=jconline&sParam=34946928.story
^ a b c d e New York Times (May 31, 1998)
^ At Ease, ECC newsletter, May 1986, cited in Jacklyn Cock, Colonels & Cadres – War & Gender in South Africa, Oxford University Press, 1991, pg81
^ a b Whitefield, Fredricka (2005). "Profiles of U2 and The Dave Matthews Band" CNN.com (accessed May 3, 2006)
^ "Driven: Dave Matthews – About the Episode" VH1.com (accessed May 4, 2006)
^ nancies.org
^ “03.14.1991 Trax Nightclub Charlottesville, Virginia (Middle East Children's Alliance benefit) ”. DMBAlmanac.com. 2010年11月4日 閲覧。
^ a b c [1] Dave Matthews Band: Music for the People – Retrieved on February 8, 2008.
^ [2] Time Pacific Magazine – "And the band plays on..." Retrieved on September 15, 2007.
^ “Blue Man FAQs ”. 2009年3月6日 閲覧。
^ “Gold and Platinum ”. Recording Industry Association of America. 2009年3月6日 閲覧。
^ “Dave Matthews links up with Trey Anastasio, others for winter tour” . Live Daily. (2003年10月7日). http://www.livedaily.com/news/5583.html 2009年3月6日 閲覧。
^ Harris, Emmylou. “Red Dirt Girl ”. 2009年5月2日 閲覧。
^ “Where the Red Fern Grows ”. Internet Movie Database . Amazon.com. 2008年10月12日 閲覧。
^ “I Now Pronounce You Chuck and Larry ”. Internet Movie Database . Amazon.com. 2008年10月12日 閲覧。
^ “You Don't Mess with the Zohan ”. Internet Movie Database . Amazon.com. 2008年10月12日 閲覧。
^ “Lake City ”. Internet Movie Database . Amazon.com. 2008年10月12日 閲覧。
^ Bates, Eric (2008年4月17日). “Dave Matthews Speaks Out for Barack Obama ”. RollingStone. 2008年9月7日 閲覧。
^ Matthews, Dave; Reynolds, Tim (2008年4月2日). “Change Rocks: Dave Matthews & Tim Reynolds to Perform Special Show in Support of Barack Obama ”. Presented by Indiana University Union Board . Official Dave Matthews Website. 2009年2月4日 閲覧。
^ Whitburn, Joel (2011). Top Pop Singles 1955–2010 . Record Research, Inc. p. 577. ISBN 0-89820-188-8
外部リンク