ディフェンス (戦列艦・初代)
ディフェンス(HMS Defence)はトーマス・スレード設計のベローナ級74門3等戦列艦。1763年3月31日にプリマス工廠で進水した。フランス革命戦争からナポレオン戦争の時期の軍艦としては最も有名な艦の1つである。 艦歴アメリカ独立戦争時、ディフェンスは海峡艦隊に所属しており、サン・ビセンテ岬の月光の海戦に参加した。1782年の初期にはリチャード・ビッカートン代将の戦隊に加わってインドに派遣されたが、その年の海戦には間に合わなかった。しかし翌年のカッダロールの海戦には参加し、1785年末に本国へ戻った。 その後、ディフェンスはフランス革命まで非役係留されていた。 ジェイムズ・ガンビアが指揮する海峡艦隊に復帰すると、デフェンスは「栄光の6月1日」海戦においてミュシュース、トゥールヴィルとの戦闘で勇名を馳せる。ディフェンスはこの海戦で全てのマストを失った2隻のイギリス艦の1隻であった。補修を終えるとディフェンスは地中海に向かい、ウィリアム・ホータム提督の艦隊でイエール諸島の海戦に参加した。 1798年、ディフェンスは地中海に戻りジョン・ペイトン艦長の指揮下でナイルの海戦に参加する。 1801年にはバルト海のハイド・パーカー提督の艦隊でコペンハーゲンの海戦に参加したが、予備戦力として温存されたため交戦はしなかった。 1805年のトラファルガーの海戦ではジョージ・ホープ艦長の下サン・イルデフォンソやベリックと交戦し、36名の死傷者を出した。 ディフェンスは1811年12月24日にデンマークのユトランド西方で座礁し、乗員は5名を除いて全員死亡した。セント・ジョージも同じ嵐で遭難している。 参加海戦参考文献
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