チュヂ族チュヂ族[1][2](ロシア語: чудь)は、キエフ大公国期の史料に言及される、フィン・ウゴル系の部族である[3]。一般に、ヴォヂ族[注 1]、ヴェシ族、スミ族(ru)、ヤミ族と同じく、沿バルト=フィングループ[注 2]とされる。 語源「チュヂ(чудь)」という名称の語源は、「不思議な・奇妙な」という意味の言葉(参照 - 現代ロシア語:чудный)とする説、フィン・ウゴル系言語の神話上の人物(参照 -サーミ語:čutte)に拠るとする説、ゴート語で人々を意味するþiudаとする説などがある。 民族
史料上の言及(留意事項):本節では歴史的民族に対して「族」を用いている日本語文献の表記に従い、「- 族」の呼称で統一している。また、カタカナ表記は便宜上、ロシア語からの転写に統一している。 レートピシ(ルーシの年代記)等における、「チュヂ」という表記での主な言及は以下のとおりである。(ただし文脈上、明らかに他のフィン・ウゴル系部族も含めて「チュヂ」として言及されているものがある。)
上記以外にも、チュヂ族は907年、980年にキエフ大公の遠征軍に加わっている[7]。10世紀末にはチュヂ族の兵士が、遊牧民のペチェネグ族に対する防衛軍としてルーシ南部に置かれた[7]。これらの記述のうち、「リューリク招致伝説」のチュヂ族については、19世紀の歴史家セルゲイ・ソロヴヨーフ(ru)によって、ヴォドスカヤ・ピャチナ(ru)(ノヴゴロド圏(ru)の区画の1つ)に住むヴォヂ族ではないかという仮説が提唱された[8]。また、キエフ大公ヤロスラフの征服したチュヂ族は、ユーリエフの位置より、エストィ族(ru)(ロシア語: Эсты。エストニア語ではAestii)がチュヂ族として言及されているとみなされうる。なお、より後世の年代記では、エストィ族とセツ族(ru)(エストニア語ではSetud)をさしてチュヂ[要出典]、さらにはチュヂ・プスコフスカヤ(プスコフのチュヂ族)と称している。
現在今日のウドムルト人の中には、チュドヤ(Чудъя)、チュドナ(Чудна)等の名をもつ氏族があり、また、非キリスト教徒のコミ人(ru)の中に、自身や先祖を同様の名称で呼ぶものがある[11]。ロシアでは2002年に、2002年全ロシア国勢調査に際して、独立した一個の民族の名称として「ロシア連邦の民族・言語の一覧」中のコードの1つ(No.351)にチュヂの名称が記載された[12]。地名としては、ロシアの都市チュドヴォ、チュド湖(ru)[注 4]、(また、おそらくはチュチ川(ru)も)がチュヂ族の名に由来する。 伝承→「en:Chudes in folklore」および「ru:Чудь белоглазая」も参照
脚注注釈
出典
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