チャールズ・ラム
チャールズ・ラム(Charles Lamb、1775年2月10日 - 1834年12月27日)は、イギリスの作家・エッセイストである。特に『エリア随筆』は随筆(エッセイ)の傑作と評価されている。 生涯父はインナー・テンプル法学院の幹部サミュエル・ソールト (Samuel Salt) の秘書であった。 ラムはロンドンに生まれる。1782年から1789年までクライスト・ホスピタル校に在学し、この時に詩人のサミュエル・テイラー・コールリッジと親交を結ぶ。その後、南海会社に入り、短期間で東インド会社に転じて30年以上も勤め、恩給をもらって退職した。1796年、姉メアリーが一時的な発狂の結果、ナイフで母親を刺殺した。ラムは結婚を断念し、精神疾患のため不定期に発作に見舞われる姉の面倒を見続ける。 副業として始めた文筆業では、姉メアリーとの共著『シェイクスピア物語』(Tales from Shakespeare 1807年)、「エリア」の筆名による随筆『エリア随筆(エリアのエッセイ)』(Essays of Elia 1823年/The Last Essays of Elia 1833年)で知られる。 日本では福原麟太郎の『チャールズ・ラム伝』が読売文学賞を受賞し、戦後日本の読書界に広くラムの価値を知らしめた[1]。 ラムの好み、教養同時代の批評家ヘイズリットは、ラムの作品の特徴を挙げて
と述べた。さらにラムの書物の趣味については、トバイアス・スモレットやフィールディングに通じ、ジューニアスやエドワード・ギボンはあまり読んでいないが、ロバート・バートンの『憂鬱症の解剖』やトマス・ブラウン、トマス・フラーの『偉人伝』やジョン・バニヤンの『聖戦』といった特殊な古典を好んで読み、シェークスピアとミルトンを崇拝している、とヘイズリットは言う。ドイツやフランスの文学や経済学にはあまり関心がなく、論争的神学については書物の受け売りですませているとも評されている[2]。 ラムは絵画や版画の良い鑑賞者であり、特にウィリアム・ホガースやレオナルド・ダ・ヴィンチに感服していた。 著作原著
日本語訳
脚注参考文献 |
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