1997年の大統領選挙に出馬。「He killed my ma, he killed my pa, he gets my vote」という有名なスローガンを打ち出し、エレン・ジョンソン・サーリーフに勝利して、8月2日に大統領に就任した[1]。なお、NPFLは国民愛国党に改組した。内戦は収まらず、反対派を軍隊や私兵を使って鎮圧する。また、中華人民共和国と国交断絶して台湾(中華民国)から資金援助を得た[2]。
チャールズ・マッカーサー・エマニュエル(英語版)(別名でロイ・マッカーサー・ベルファスト・ジュニア、Roy M Belfast,Jr.とも言う)はテイラーの実の息子で“チャッキー”の愛称で知られている。アメリカ生まれでフロリダ州マイアミに住み、アメリカ市民権も取得している。父がリベリアの政権を握っていた時は警備担当を務めていた。そして2002年7月24日リベリアの首都モンロビア周辺で、ある男性(検察は特定していない)を拉致し、熱したアイロンを押しつけたり、熱湯をかけたり、性器に電気ショックを与えたり、囚人同士に同性間性行為を強要するなど残酷な拷問をしていたとされる。フロリダ州南部を管轄する連邦検察官事務所は2006年に拷問罪で彼を起訴した。