父が裕福であったため、小学校時代に複数の家庭教師をつけるなど、熱心な教育を受けさせた。10歳のとき[10]生命を危うくするほどの発熱を経験し、療養をかねて田舎(エクセター近郊のアルフィントン)の学校に通うようになる。両親は学校に「あまり脳に負担をかけないようにしてください」と依頼し、本人は「こんなに暇では馬鹿になるかもしれない」と思ったと後に述べている。デヴォン州トットネス(英語版、フランス語版、ドイツ語版)の King Edward VI Grammar School に入れられ、ここですぐに体力を回復すると、再び家庭教師を付けてもらえるようになった[11]。その後ミドルセックス州インフィールドにある30人の生徒を持つホルムウッド・アカデミーに参加し、スティーブン・フリーマン牧師に学ぶようになった。このアカデミーには膨大な蔵書があり、それによって数学に興味を持つようになる。アカデミーを離れてからさらに2人の家庭教師について学ぶ。一人はケンブリッジに住む聖職者で、バベッジは後に「何も得る物が無かった」と述べている。もう一人はオックスフォードの家庭教師で、ケンブリッジに入学できるだけの古典について学ぶことができた。
1814年7月[16]、デヴォン州テインマスの St. Michael's Church でジョージアナ・ホイットモア (Georgiana Whitmore) と結婚。シュロップシャーのダッドマストン・ホール(英語版)というカントリー・ハウスを新居としたが(ここで自らセントラルヒーティングシステムを設計)、その後ロンドンに引っ越した。
そろばんや機械式計算機は集積回路を使った電子計算機に取って代わられたが、MEMSとナノテクノロジーの最近の発展により、微細な機械に計算させるハイテク実験が行われるようになっている。電子式では動作できない高放射環境や高温環境でも動作可能な点が優れているという[35]。エコノミスト誌は20世紀末に "Babbage's Last Laugh" と題した記事を掲載し、微細な機械による計算について紹介した[36]。
その他の業績
On the economy of machinery and manufactures, 1835
著書『機械化と工業化がもたらす経済効果』(On the Economy of Machinery and Manufactures) では、こんにち「バベッジの原理」と呼ばれるものを描いている。これは、仕事を分割することの効果を論じたものである。熟練した賃金の高い労働者は、常にスキルを最大限に発揮しているわけではない。その仕事を分割して複数の労働者を雇えば、スキルを要する仕事だけを熟練した労働者に割り当て、他の比較的簡単な仕事は別の熟練していない労働者に割り当てることができ、全体として労働コストの削減になるというものである。カール・マルクスは資本論や経済学批判要綱でこのバベッジの分業論に強い影響を受けた[46]。バベッジの原理は、フレデリック・テイラーの科学的管理法の前提となっている。
バベッジはある工場の壊れた窓ガラスを全部数え、1857年に『窓ガラス破損原因の相対度数表』(Table of the Relative Frequency of the Causes of Breakage of Plate Glass Windows) を出版した。464枚の壊れた窓ガラスのうち、14枚が「酔っ払い、女性、または少年」が原因とされている[47][48][49]。
バベッジは人混みが嫌いで、1864年には『通りの迷惑の観察』(Observations of Street Nuisances) を出版し、80日間に165回の「迷惑」を数えたこともある。特にストリートパフォーマンスが嫌いで、手回しオルガンの音を聞きつけると、そこに行ってののしったという。例えば次のような引用がバベッジの音楽嫌いを表している。
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^Hansard's parliamentary debates. THIRD SERIES COMMENCING WITH THE ACCESSION OF WILLIAM IV. 27° & 28° VICTORIA, 1864. VOL. CLXXVI. COMPRISING THE PERIOD FROM THE TWENTY-FIRST DAY OF JUNE 1864, TO THE TWENTY-NINTH DAY OF JULY 1864. Parliament, Thomas Curson Hansard "Street Music (Metropolis) Bill "; V4, p471
^Babbage, Ninth Bridgewater Treatise. Chapter V. Further View of the same Subject. The Victorian Web.
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Campbell-kelly, Martin; Aspray, William (August 2004). Computer: A History Of The Information Machine. The Sloan Technology Series (Second ed.). Westview Press. ISBN0-8133-4264-3