第13代ヒューム伯爵 チャールズ・コスパトリック・アーチボルド・ダグラス=ヒューム (英語 : Charles Cospatrick Archibald Douglas-Home, 13th Earl of Home KT TD 、出生名チャールズ・コスパトリック・アーチボルド・ヒューム 、1873年 12月29日 – 1951年 7月11日 )は、スコットランド貴族 。1930年から1951年までベリックシャー統監 を務めた[ 1] 。首相アレック・ダグラス=ヒューム の父にあたる。
生涯
第12代ヒューム伯爵チャールズ・アレクサンダー・ダグラス=ヒューム と妻マリア(Maria 、旧姓グレイ(Grey )、1849年2月23日 – 1918年5月25日、チャールズ・コンラッド・グレイの娘[ 2] )の息子として、1873年12月29日に生まれた[ 3] 。出生時点で父は「ヒューム」姓だったが、1877年に「ダグラス=ヒューム」に改めた[ 3] 。イートン・カレッジ とオックスフォード大学 クライスト・チャーチ で教育を受けた[ 3] 。
1895年7月17日、ラナークシャー・ヨーマンリー連隊 (英語版 ) の少尉に任命された[ 4] 。1902年6月4日に大尉に[ 5] 、1905年7月15日に少佐に昇進した[ 6] 。その後、中佐の暫定階級を与えられ、1917年10月17日に正式に昇進した[ 7] 。のちに名誉隊長に任命された[ 3] 。第一次世界大戦 に参戦して、殊勲報告書に名が載った[ 3] 。
1898年9月6日にラナークシャー の副統監 に任命され[ 8] 、1922年1月24日にVice-Lieutenant に任命された[ 9] 。1919年4月9日、ベリックシャー の副統監 に任命された[ 10] 。ほかにもラナークシャーとベリックシャーの治安判事 を務めた[ 3] 。
1918年4月30日に父が死去すると、ヒューム伯爵 位を継承した[ 3] 。
1930年3月28日、シッスル勲章 を授与された[ 11] 。シッスル勲章を授与される前はすでに国防義勇軍勤続章 (英語版 ) を授与されていた[ 3] [ 11] 。1930年12月11日にベリックシャー統監 に任命され[ 12] 、1951年に死去するまで務めた[ 1] 。
Royal Company of Archers ではエンサイン (英語版 ) (騎兵少尉)を経て、1940年5月24日に中尉に[ 13] 、1945年11月13日に大尉に昇進した[ 14] 。
グラスゴー大学 よりLL.D. の名誉学位を授与された[ 3] 。
1951年7月11日に死去、長男アレクサンダー・フレデリック が爵位を継承した[ 3] 。
家族
1902年7月14日、リリアン・ラムトン(Lilian Lambton 、1966年9月26日没、第4代ダラム伯爵フレデリック・ウィリアム・ラムトン (英語版 ) の次女)と結婚、5男2女をもうけた[ 3] 。
アレクサンダー・フレデリック (1903年7月2日 – 1995年10月9日) - 第14代ヒューム伯爵、1963年10月23日に爵位放棄。1975年に一代貴族 であるザ・ヘイゼルのヒューム男爵に叙爵[ 3]
ブリジット(1905年5月4日 – 1980年12月25日[ 3] )
ヘンリー・モンタギュー(1907年11月21日 – 1980年) - 1931年7月7日、マーガレット・スペンサー (英語版 ) (1996年5月26日没、第6代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサー の娘)と結婚、子女をもうけたが、1947年に離婚した。1947年6月16日、ヴェラ・バグ・ヨハンセン(Vera Bugge Johansen 、1963年6月6日没、カール・ヘルマン・イェンセンの娘、イヴァン・ヨハンセンの元妻)と再婚、子供あり。1966年2月16日、フェリシティ・ベティ・ウィルズ(Felicity Betty Wills 、オーブリー・トマス・ジョンソンの娘、ヴィクター・パトリック・ハミルトン・ウィルズ閣下の元妻)と再婚、子供あり[ 3]
レイチェル(1910年4月10日 – 1996年4月4日) - 1937年4月27日、ウィリアム・ウォルター・モンタギュー=ダグラス=スコット卿 (英語版 ) (1958年1月30日没、第7代バクルー公爵ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット の次男)と結婚、子供あり[ 3]
ウィリアム (英語版 ) (1912年6月3日 – 1992年) - 1951年7月26日、レイチェル・ブランド (英語版 ) (のちの第27代デイカー女男爵)と結婚、子供あり[ 3]
エドワード・チャールズ(1920年3月1日 – 2006年) - 1946年7月24日、ナンシー・ローズ・ストラッカー=スミス(Nancy Rose Straker-Smith 、2005年没、サー ・トマス・ダルリンプル・ストラッカー=スミスの娘)と結婚、子供あり[ 3] [ 15]
ジョージ・コスパトリック(1922年9月2日 – 1943年6月14日) - 空軍軍人、第二次世界大戦 で戦死[ 3]
出典
^ a b Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lord-Lieutenants of Counties (Scotland) 1794-" . Institute of Historical Research (英語). 2019年7月17日時点のオリジナル よりアーカイブ。2022年2月28日閲覧 。
^ Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas , eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) . Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 560.
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Mosley, Charles , ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1434. ISBN 2-940085-02-1 。
^ "No. 26644" . The London Gazette (英語). 16 July 1895. p. 4026.
^ "No. 27439" . The London Gazette (英語). 3 June 1902. p. 3611.
^ "No. 27817" . The London Gazette (英語). 14 July 1905. p. 4903.
^ "No. 30359" . The London Gazette (Supplement) (英語). 30 October 1917. p. 11262.
^ "No. 27003" . The London Gazette (英語). 9 September 1898. p. 5385.
^ "No. 32594" . The London Gazette (英語). 31 January 1922. p. 834.
^ "No. 31293" . The London Gazette (英語). 15 April 1919. p. 4887.
^ a b "No. 33592" . The London Gazette (英語). 28 March 1930. p. 1959.
^ "No. 33669" . The London Gazette (英語). 12 December 1930. p. 7998.
^ "No. 34859" . The London Gazette (英語). 28 May 1940. p. 3184.
^ "No. 16282" . The Edinburgh Gazette (英語). 16 November 1945. p. 399.
^ Morris, Susan; Bosberry-Scott, Wendy; Belfield, Gervase, eds. (2019). Debrett's Peerage and Baronetage (英語). London: Debrett's. p. 3321. ISBN 978-1-999767-0-5-1 。
外部リンク