チェーディー・シースリヨータイ
チェーディー・シースリヨータイ(Chedi Si Suriyothai 〈Chedi Sri Suriyothai〉、タイ語: พระเจดีย์ศรีสุริโยทัย、プラ・チェーディー・シースリヨータイ〈Phra Chedi Sisuriyothai、タイ語: เจดีย์พระศรีสุริโยทัย〉シースリヨータイ王妃の仏塔)は、タイの中部、アユタヤ県アユタヤの川に囲まれた旧都である島の西側、チャオプラヤー川のほとりに位置する仏塔(チェーディー)である[1]。 仏塔は、アユタヤ王朝の王チャクラパット(在位1548-1569年)とビルマのタウングー王朝のバインナウンとの戦闘(第一次緬泰戦争)において、1549年[2]、王チャクラパットを守ろうとして死亡したとされる王妃シースリヨータイの遺骨を祀るとされる[2][3]。 歴史→「シースリヨータイ」も参照
スリヨータイは、タイ女性の栄誉の象徴であり、タイ史上における最高のヒロインである[1][2]。王チャクラパットは第一次緬泰戦争の後、その戦闘のうちに死亡した王妃シースリヨータイの遺体をスワンルワンよりアユタヤに運び、王宮の敷地で火葬に付した[4]。 シースリヨータイの墓所は、チャクリー王朝の王ラーマ5世(在位1868-1910年)が史書編纂の実地調査のなかで仏塔を見いだし、その場所が同定された。その後、王ラーマ6世(在位1910-1925年)により仏塔は「チェーディー・プラ・シースリヨータイ」 (“Chedi Phra Sri Suriyothai”) と名付けられた[4]。 1990年、シースリヨータイの仏塔はタイ芸術局により修復された。その修復のうちに多くの遺物が発見され、それらは現在、チャオ・サーム・プラヤー国立博物館に収蔵されている[4]。 構造チェーディー・シースリヨータイは、正方形の基壇上に立ち、現在は下層部より白く装飾され、尖塔に向かって金箔が施されている。仏塔の北側に扉を備える。仏塔は王妃が火葬されたかつての王宮 (Wang Lang、タイ語: วังหลั่ง〈リア宮殿、Rear Palace〉[5]) の敷地に建立されたが、王宮の痕跡は現存しない。また、この仏塔がシースリヨータイの伝承のものかどうかについても諸説ある[6]。 脚注
関連項目外部リンク
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